legend ej の繧繝彩色な「物語」: ラ・マンチャの乾いた風/コンスエグラとカンポ・デ・クリプターナの風車の丘

2016年10月5日水曜日

ラ・マンチャの乾いた風/コンスエグラとカンポ・デ・クリプターナの風車の丘

コンスエグラの風車の丘 Molinos de Consuegra

位置: マドリッド~南方110km/トレド~南東60km

コンスエグラの町/地理~経済~歴史~文化

ラ・マンチャ地方 La Mancha はスペインの中央部、首都マドリッドの南~南東域、おおよそ東西300km、南北200km、標高700m前後の高原台地に展開する広大な乾燥平原である。ラ・マンチャ地方コンスエグラ Consuegra は県庁トレド Toledo から南東へ60kmあまり、人口1万人の小さな町である。

スペイン中央部 地図 Central Spain
スペイン中央部 地図/作図=Blog管理者legend ej
イベリア半島の内陸に位置するラ・マンチャ地方は、冬に気温が低下、夏は非常に暑く、年間降水量は東京の1/5の300mm~400mm、乾燥を特徴とする地中海式気候帯に属している。
地方はスペイン有数の農業地帯、「地中海の三大作物」の小麦を初めとする穀物、ワイン用ブドウ、そしてオリーブの栽培に適し、特にブドウの栽培面積ではフランス有数のブルゴーニュやボルドー地方などを遥かに凌ぎ、世界最大級とされる。
コンスエグラを含め、ラ・マンチャ地方は「原産地呼称制度」で厳しく保護された、アヤメ科多年草の雌蕊(めしべ)を乾燥したスパイスのサフラン(クローカス)を初め、ニンニクやメロンなどの栽培も盛んである。さらに地中海沿岸の国々と同様に、紀元前の時代から行なわれて来たヒツジやヤギの飼育もこの地方の重要な産業で、はやり原産地制度で保護されている。また、町は素焼き陶器の生産でもその名を知られている。

※「コンスエグラ・サフラン祭り Fiesta de la Rosa del Azafran」: 毎年10月(最終週末)

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コンスエグラの風車群

コンスエグラの市街の南側、東西の横幅で約500m 南北に1.5km、細長く小高い「カルデリコの丘 Cerro Calderico」がある。南北に長い丘の尾根は標高800mレベル、標高700mのコンスエグラの市街から標高差100mである。

コンスエグラ Molinos de Consuegra / Windmills 孔苏埃格拉 风车山
コンスエグラの風車の丘
※朝日出版社 発行書籍・「基礎から学ぼう!スペイン語」表紙写真に採用される/2014年01月
カルデリコの丘に建つコンスエグラの風車群は合計12基、すべて稼動していないが、現在、補修・保全され、丘の市街に近い北端の斜面と尾根に5基、その南方の聖ヨハネ騎士団の城塞(後述)を挟んで、さらに南方の稜線に沿って7基の風車(小屋)が、正に自然と人間が創作した「芸術的」と言って良い位置に配置され並んでいる。
コンスエグラの風車の丘は、市街からの標高差で丁度100m、周囲には平坦なラ・マンチャ大平原が地平線まで広がり、この丘と風車群の存在は首都マドリッドから南方のコルドバやグラナダ方面へ延びる高速道路A4号からも、さらに遠く20kmも離れた地平の彼方からもはっきりと確認できる。

ラ・マンチャ地方の風車(小屋)は、16世紀のスペイン王でありポルトガル王、さらにネーデルランド(オランダ&ベルギー)の統治者でもあったフェリペⅡ世が、すでに13世紀に干拓用として導入・改良された16世紀のオランダ型風車にヒントを得て、この地方への導入を推奨したとされる。
外観に限れば、ブレード部が4枚~6枚の木材を多用した揚水用オランダ型とは大幅に異なるが、ラ・マンチャ地方の風車小屋の内部メカニカルや機能面ではオランダ型と共通する点が多いとされる。コンスエグラの風車群の外観は分厚い石組みと白色漆喰壁の仕様、円筒型の胴体に入口を設け、円錐型の屋根(ドーム)を載せたシンプル形容である。
また、オランダ型と共通だが、ラ・マンチャ地方の風車では、布の帆を張る長方形のブレードを付けた四つの大羽根を装備する円錐屋根は、その日の風向きに合わせて、屋根に取り付けた長い支え棒を使って、屋根全体を人力で方向転換することができる仕様である。

ただ、個人的な狭い経験論だが、現在の19基を数えるロッテルダム近郊の世界遺産・「キンデルダイク風車群」を初め、合計1,000基と言われるオランダ国内に点在する風車は大型タイプがほとんど、外観の直感視ではラ・マンチャア地方の風車はハンガリー南部などで見た小型風車に近似するような気がする(下写真)。

オランダとハンガリーの風車
オランダ中部ユトレヒト近郊の風車/多くは農家の所有            ハンガリー南部セゲド近郊の風車

風車回転⇒石臼駆動 Windmill-rotation & Millston-driving 风车山
風車回転⇒石臼駆動システム/描画=Blog管理者legend ej
コンスエグラの風車(小屋)では、入口から入った内部の基本構造は三階の造りである。
螺旋(らせん)階段を上がった三階には屋根に装備された大羽根のほぼ水平の回転軸があり、それに連結した大型の木製円盤に木製ピンを固定、接触する垂直軸の回転部分には木製ピニオンを固定して、風車の水平回転から垂直回転の動力を得て、下方の大型の石臼(うす)を回す装置となっている(左描画)。
この風車の機構は、言わば現代の機械工学の「フェースギア装置」の基本型である。なお、作業者は壁面の螺旋階段を使って三階まで穀物を運び上げ、石臼で製粉加工された小麦粉や豆類などは階下の二階で袋詰めされ運び出された。
中世からの伝統を引き継ぎ穀物の製粉加工を行なったラ・マンチャ地方の風車では、石臼を除きメカニカル部品は武骨な木製だが、当時は軸にかかるスラスト応力やトルク理論など確立されていない時代であり、風車の構造は最先端の機械装置であったと想像できる。

また、現代でもアメリカ中西部や南アフリカ、オーストラリアなどの乾燥地帯で見かける「多翼型揚水用風車」では、風車の水平回転軸の動力を偏心軸とクランクシャフト機構で垂直運動へ転換、「円筒型ポンプ」として地下水の汲み上げを行なっている。
かつて、南アフリカ北西部のナマクアランド地方やハウテン州ヨハネスブルグ近郊など、乾燥地帯の放牧場で何度も見たことがあるが、この種の風車型ポンプは近代的なメカニカル理論を元にして設計されている(下写真)。

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南アフリカ・多翼型風車 Windpump, South Africa
南アフリカ・乾燥地帯の「多翼型」の揚水用風車
●関連ブログ: 南アフリカ・北ケープ州/ワイルドフラワーの花咲く乾燥地帯
ジャカランダの花咲く南アフリカ・プレトリア/「花の魔術」のナマクアランド地方
●関連Webページ: 南アフリカ・半砂漠カルー乾燥地帯
南アフリカ・カルー地帯/オーグラビス大滝・ハンタム大平原・風車の回る半砂漠地帯

風力を利用する風車から少し離れるが、風車のメカニカル面と構造材料で共通する実例では、木製の歯車装置を使い主に菜種(アブラナ)やヒマワリの種子から、時にはクルミや大豆、大麻などの油搾りに活躍した石臼回転装置がある。
東フランス・南部アルザス地方の中心ミュールーズ Mulhouse から南西22km、ベルフォール Berfort の東方19km、小さな町ダンヌマリー Dannemarie は「第一次大戦」と「第二次大戦」で徹底的に破壊されたことで知られている。
ダンヌマリーの市街から南西1.5km、戦争の被害が少なく古いコロンバージュ様式の大型農家などの家並み、人口550人、レストランもカフェテリアもないマンシュパッハ村 Manspach の農家の納屋には、18世紀起源とされるかつて菜種など植物油を搾ったロバ駆動の石臼回転装置が残されている。
この回転装置では、支柱につながれたロバの単純周回を駆動力として、天井の円盤歯車から回転軸を経由した回転力が、まったく同構造の隣りの円盤歯車装置に伝動され、ロバの周回と同じ速度で支柱が回転、装着された石臼の周回&自転で菜種やヒマワリなどの油を搾っていた。風車2基分に相当する複雑な装置でエネルギーの損失が大きいと想定できるが、機能面では風力活用の風車と同じ「フェースギア装置」の原理と言える。
ロバがつながれた支柱の回転で直接的に石臼を回転させる方が構造的にも簡単で有効だが、そうしない理由はおそらく粉砕前の菜種など種子をロバが食してしまうことや衛生面から、あえて複雑な装置となるが、ロバ駆動部屋と作業区画とを壁で仕切り、ほぼ同じ歯車装置を二つ設備していたと推測できる(下描画&写真)。

東フランスの「ロバ駆動」の古い菜種油搾り装置 Manspach, Alsace
東フランス・南部アルザス地方の「菜種油搾り装置」・回転⇒石臼駆動システム          石臼駆動部     
描画=Blog管理者legend ej/写真情報=Manspach村 住民からの提供
●関連Webページ: 東フランス・南部アルザス地方/歴史と美しい田園風景
南部アルザス・サングオ地方/フェレット&ダンヌマリー周辺/「鯉フライ街道」

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回転歯車装置から話をスペインへ戻そう。今日でもコンスエグラの風車(小屋)には「サンチョ Sancho」や「アルカンシア Alcansia」など、おのおの個別に名称が付けられているが、かつて風車の所有は代々世襲され、1980年代になり稼動が停止されたとされる。なお、10基は19世紀前半の建造だが、最古の風車とされる「サンチョ」は16世紀起源と言われている。
自然の力である風を頼りとする風車の設置には、まっ平らなラ・マンチャ大平原から標高差100mで細長く隆起したこのカルデリコの丘が絶好の場所であったはず。現在、一部の風車の内部が一般公開されている。

今日、丘上のパーキング場が拡張され、世界中から憧憬のツーリストが訪れるコンスエグラの風車の丘は、バルセローナを初め古都トレドセゴヴィア(下写真)、イスラム教文化のアルハンブラ宮殿コルドバ・メスキータ寺院など、「スペイン世界遺産巡り」のツアーバスが移動途中で立ち寄り可能な絶好の観光スポットである。
例え稼動していなくとも、古(いにしえ)の愛らしい形容の風車群は、民家など無い日常風景からちょっと離れた小高い丘に建ち、ランダムだが美しく並んだ配置、360度を見渡せる大平原の展望など、どれを取ってもロマンに酔い易い世界のツーリストを呼び寄せるに相応しい恰好な条件であり、コンスエグラの経済面を潤す重要な観光施設でもある。現在、コンスエグラの風車群は、スペインの歴史的な文化遺産として保護の対象となっている。

トレド旧市街の眺望 Toledo 托莱多
世界遺産/トレド旧市街の眺望
セゴヴィアのアルカサール城 Alcazar de Segovia 塞戈维亚
世界遺産/セゴヴィアのアルカサール城

コンスエグラの「繧繝彩色」な記憶/風車(小屋)の白壁に背を預け

コンスエグラの風車の丘を訪れたのは、気温は高いが汗をかかない乾燥した微風が吹く真夏7月であった。前日の夕方、ラ・マンチャ地方に珍しく雷雨があり、乾燥地帯とは言え、大地に湿り気がもたらされたためか、スペインの紺藍の空に今は稼動していない風車群を包むかの如く、柔らかな綿毛のような雲がゆったりと流れる。時間を忘れ何時までも眺めていたい心癒される風景である
(トップ写真)
偶然にもこんなでき過ぎた美しい舞台に私以外にツーリストが誰も居ない。草木染めの淡いベージュ色、コットンのサマー・ワンピースを着た清楚な女性が演じた映画のシーンを回想し、夢見る15歳の少女のように意識して真似した訳ではないが、映画の場面のように風車(小屋)の白壁に背を預け、吹き抜ける気持の良い風に目を閉じる。
そうしていると、乾いたスペインの風に乗って、遠くからフランスの作曲家ジュール・マスネの1894年作品・オペラ間奏曲≪タイスの瞑想曲≫が流れてきそうな、澄みきった錯覚の世界へ誘われて行く・・・

クレオパトラ亡き後、ローマ帝国の属州となったエジプト。キリスト教が広まり、4世紀になり、淫らな街と化した大都市アレキサンドリアの魅力的な娼婦でありながら、身の空虚さに襲われていたタイスは、ある若い修道士アタナエルと出会った。修道士から「栄光に満ちた永遠の命」が得られると説得されたタイスは、「快楽には何の価値もない」と回心して尼僧院へ向かう。そうして自らも修道女となり、信仰の道を選んで行く・・・ オペラ≪タイス≫

空虚な世界観から美しい心を取り戻すタイスの心理を暗示させる、ヴァイオリンとハープの奏でるその流麗で甘美な調べが胸一杯に広がって来る。ここでは深い思考も過剰装飾の言葉も要らない。心を解放し雑念をすべて払拭して、眩しいスペインの夏の陽光と静けさに支配される自分をさらけ出せば良い。ラ・マンチャの乾いた微風が身体と心の中までも静かに洗ってくれるような気がした。
不思議にも誰も居ない世界、今、スペインの夏の眩しい陽光、静か過ぎる美しい空間と時間を独り占めしているのだ、と思うと無性に嬉しくなった。古都トレドからローカルバスに揺られ南東へ60km、ラ・マンチャ大平原のこの風車の丘へ独りでやって来た意味、ジワーと感じる幸運感に酔ってしまいそうだ。
大勢で行動する「ワイワイ・ガヤガヤ」の旅行ではなく、「心に刻む旅」にある自分へのご褒美(ほうび)として、この静かな風景に巡り会えたのだ、と独り偏見とも取れる納得に傾倒して行く。人が言う「心豊かな時間」とは、誰も居ない場所に一人佇み、陽光と微風に触れ、過ぎ行く穏やかな時間を感じ取る・・・こんな条件と時が偶然に重なったことを意味するのかも知れない。
私はこの澄明されたスペインの純粋な夏の風景の中で、流れ行く雲と美的に並んだコンスエグラの白い風車群を眺めつつ、独り過ごした「人生の静かな数時間」を、今でも「心の宝石」の一つとして大切にしている。

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カルデリコの丘に建つコンスエグラの城塞

市街に近い位置、カルデリコの丘の北端寄りにコンスエグラの城塞(要塞)がある。城壁に囲まれた城塞は、破壊と再建、増改築が繰り返され、稜堡的な円筒型の大型建物と方形の居館との結合に特徴がある。

城塞
コンスエグラの城塞
イベリア半島の歴史をひも解くと、ローマ帝国の時代まで遡り、さらに中東イスラム教世界との関わりの中で戦いと平和が交差して、上下左右に複雑に上塗りされて来たことが分かる。コンスエグラの城塞に関しても、このイベリア半島の波乱の歴史を無視して語ることはできない。
強大なローマ帝国は軍事力を背景に地中海沿岸~遠くイングランド~東欧地域まで支配下に置いたが、徐々に政治的にも軍事的にも綻びが目立ち、4世紀末、395年、帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂する。5世紀になるとゲルマン民族大移動が始まり、弱体化した西ローマ帝国は滅亡の道を選ぶ。
このヨーロッパの大きな歴史の潮流の中、西ゴート族がフランス中南部~プロヴァンス地方~イベリア半島へ侵入して定着、「西ゴート王国」を成立させ、首都をトロサ(南西フランス・トゥールーズ)に置き、カトリック教を国教に制定する。その後、興隆してきたゲルマン民族の一派であるフランク族(フランク王国)との戦いに連敗を重ねたことで、西ゴート王国の版図は現在のイベリア半島へ縮小され、6世紀になり首都をトレドへ遷都する。

一方、7世紀後半、開祖ムハンマド亡き後、中東ではイスラム教の指導者争いの混乱の中からウマイヤ家系の「ウマイヤ朝」が成立した。しかし、その後も宗教的な混乱は止まず、指導者の権力闘争は激化をたどり武力による内乱へ発展して行く。
8世紀半ば、イラン北部モスル近郊での激戦の結果、ムハンマドの叔父の血統であるアッバース家系に破れたウマイヤ朝は滅亡する。以降、「アッバース朝」の軍隊による討伐が行なわれ、ウマイヤ家系の多くが殺害された。
しかし、ウマイヤ家系最後のカリフの孫アッラフマーンⅠ世は難を逃れ、北アフリカ西端のモロッコで態勢を整え、ジブラルタル海峡を渡り、すでに8世紀初頭に滅亡していた「西ゴート王国」の抵抗勢力をスペイン北部へ追いやり、コルドバで再興イスラム王朝である「後ウマイヤ王国」を建国した。
初代アッラフマーンⅠ世の後ウマイヤ王国は繁栄を極め、王都コルドバの人口は50万人になったとされ、Ⅰ世王が建立したメスキータ寺院は今日UNESCO世界遺産に登録されている(下写真)。

コルドバのメスキータ寺院 Mesquita, Coroba 科尔多瓦
世界遺産/コルドバのメスキータ寺院
※ポプラ社 発行書籍 「世界宗教シリーズ・イスラム教」掲載写真に採用される/2005年03月
※ポプラ社 発行書籍 「ポプラディア情報館 世界遺産」掲載写真に採用される/2007年03月
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コンスエグラの城塞の創建はあまり明らかではない。幾らかの説によれば、8世紀半ば、中東~エジプト~北アフリカ~イベリア半島まで領土を広げた、バグダッドを建都したアッバース朝第2代カリフ・マンスールが、かつてラ・マンチャ地方を支配下に置いたローマ帝国の砦があったカルデリコの丘に「イスラム砦」を建造したとされる。
イベリア半島では、すでに8世紀初頭から北アフリカからのイスラム勢力の侵攻が顕著となり、反動としてイスラム勢力を追放するキリスト教徒の戦い・「レコンキスタ運動(領土回復活動)」が盛んになる。
11世紀末、ターイファ諸国(群小王国)のイスラム系セビーリア王アルムータミドの息子の未亡人?サィーダと結婚したカスティーリア&レオン王アルフォンソⅥ世が、無血でコンスエグラ城塞を手に入れる。その直後、1097年、当地、「コンスエグラの戦い」でアルフォンソⅥ世の軍は敗れ、再び城塞はセビーリア軍が占拠するが、イスラム勢力は城塞とコンスエグラの街を徹底的に破壊して南方へ退去してしまう。

12世紀になり、キリスト教・カスティーリア王国の「高貴王」・アルフォンソⅧ世が半島の中央部を制した。12世紀の末、1195年、イスラム勢力はシウダー・レアル Ciudad Real の東方8km、地方道N430号の南側、グアディアーナ河畔 Guadiana の「アラルコス Alarcos」の丘の戦いでアルフォンソⅧ世軍に勝利する。その2年後、1197年、勢いのあるイスラム勢力はさらにマドリッドトレドを攻撃、キリスト教勢力の危機感が高まった。
しかし、その後、態勢を整えたアルフォンソⅧ世とレコンキスタ連合軍の総勢5万名は、1212年7月、コンスエグラの南方135km付近、イスラム兵力12万名が待ち構えるナヴァス・デ・トローサ要塞を攻め(Las Navas de Tolosa の戦い)、兵力は半分以下ながら戦術の有利性から勝利を得る。

6万名が犠牲となった「ナヴァス・デ・トローサの戦い」の後、イベリア半島のイスラム勢力は衰退と後退の一途を辿ることになる。しかし、その支配と反発が完全に終わり、キリスト教徒の「レコンキスタ運動」が完遂するのは280年後、15世紀の末、1492年、ナスル朝ムハンマドXI世を最後とする難攻不落のグラナダ・「アルハンブラ宮殿の陥落」まで待たねばならなかった(下写真)。

グラナダ・アルハンブラ宮殿・「ライオン中庭」 Alhambra, Granada 阿尔罕布拉宫
世界遺産/グラナダ・アルハンブラ宮殿・「ライオン中庭」

「レコンキスタ運動」の激しい戦いが続く12世紀の終わり、「高貴王」・アルフォンソⅧ世の時代、コンスエグラの城塞はキリスト教・「聖ヨハネ騎士団(エルサレム病院騎士団・下記コラム)」へ譲渡され、破壊されていた城塞はより堅固な造りで修復再建された。
当時、聖ヨハネ騎士団はコンスエグラから南東20kmのプエルト・ラピセ(後述・風車の丘)なども管理下に置くほど強大な力を保持、城塞は騎士団のスペインでの活動の本拠地でもあった。

聖ヨハネ騎士団により蘇ったコンスエグラの城塞は、近世19世紀の初め、ナポレオン政権のフランス帝国軍とスペイン・ポルトガル・イギリス連合軍とが戦った「スペイン独立戦争」でそのほとんどが破壊された。城塞は近年修復が進み、「礼拝室」など内部は部分的に一般公開され、風車群と同じカルデリコの丘にあり、コンスエグラの経済を潤す重要な観光スポットとなっている。
聖ヨハネ騎士団
コンスエグラ城塞を獲得した聖ヨハネ騎士団は、当初、12世紀の初め頃、エルサレムの洗礼の聖ヨハネ修道院跡を活用して、ヨーロッパからやって来るキリスト教徒の巡礼者の保護を目的として、病院&宿泊所の運営からスタートした修道騎士団(エルサレム病院騎士団)であった。
「第三次十字軍」が行なわれた12世紀末期、中東アッコン要塞を占拠した聖ヨハネ騎士団は、イスラム・マムルーク王朝の攻撃で敗退、本拠地を東地中海・キプロス島へ移す。その直後、騎士団はさらにロードス島を襲撃して新たな本拠地とする(ロードス騎士団)。
中東イスラム勢力との戦いの最前線の立場にあった騎士団は、イスラム勢力に敵対するヨーロッパ・キリスト教国からの多額の寄進を受けていたが、ロードス島をも攻撃され、さらに西方のシチリア島へ撤退して行く。本拠地を次々に失った騎士団は、16世紀になり、神聖ローマ皇帝であり、スペイン王でもあったカルロスⅠ世(カールⅤ世)の計らいでマルタ島へ移動して活躍の場を得る(マルタ騎士団)。
●関連Webページ: 中世キリスト教世界/聖ヨハネ騎士団やテンプル騎士団などの情報
中世ヨーロッパのキリスト教世界/クリュニー修族・シトー修道会/聖ベルナール・テンプル騎士団
コンスエグラのツーリズム情報

コンスエグラへの路線バス
マドリッドやトレド宿泊の個人ツーリストでもコンスエグラへの日帰りは優々可能である。
1)マドリッドから路線バス(トレド経由): 所要2時間~2時間30分、平日8便前後、土曜・日曜は運行本数が少ない。
2)トレドから路線バス: 所要1時間、平日15便前後、土曜・日曜は運行本数が少ない。


コンスエグラの旧市街
アマルギージョ川の南側がツーリストの訪れる旧市街、南河畔、歩道橋脇がモダンなガラス張りのツーリスト・オフィス Oficina de Turismo de Consuegra、その東側がバスターミナルとなっている。
ツーリスト・オフィスの南方150mがエスパーニョ広場 Plaza Espana、ルネッサンス様式の町役場と石組みと白色石膏造りのアーチ型城門に付属する角塔の時計台がある。広場の南側は新石器時代~19世紀までのコレクションを展示する町の考古学博物館 Museo Arqueologico も入居する、特徴ある「ロス・コーレドレス様式 Los Corredores」の古い建物がある。この建築様式はスペイン独特で、部屋(家屋)が一見「長屋風」の連結的な横並びとなり、二階も含め全ての入口がベランダ風の通路に面している。
エスパーニョ広場から真っすぐ南方へ向かえば、徐々に急坂となり、階段を昇れば視界が開け、迷うことなく風車群の建つカルデリコの丘の北端へ至る。
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風車の丘とアマルギージョ川

コンスエグラの自慢、絶大人気のツーリスト・スポットとなっている風車群が残るカルデリコの丘からは、遮るもののない雄大なラ・マンチャ平原の360度の展望が開けている。丘の北側麓には、コンスエグラの白い街並が広がり、あまりにでき過ぎた美しい舞台を形成している。
風車の丘から望む風景は大きく、どの方角をとっても雄大過ぎ、ブドウやスペイン料理の色基本となるサフランを栽培するラ・マンチャ地方の豊穣なる農業耕地が見渡す限り広がっている。東京という大都市で生活する私のような「狭い世界」にどっぷり浸かっている者にとっては、正に圧倒される光景である。

コンスエグラの南西11kmのウルダ Urda のさらに南西域の丘陵地を水源とし、特に夏の乾燥期にはほとんど水量がないアマルギージョ川 Amargullo は、標高差のないラ・マンチャ平原を蛇行しながらコンスエグラの市街を貫くように東方へ流れる。
その後、川はアルカサール・サンファン Alcazar de San Juan の西側で南方へ流れ、エレンシア Herencia の風車の丘の南側でシグエラ川 Ciguela と合流して西方へ向きを変え、さらにグアディアーナ川 Guadiana へ名称を変えた後、小河川と合流を繰り返してセビーリアの西方で大西洋へ注いでいる。

古代からのコンスエグラ周辺の水利系
ローマ時代以降 コンスエグラ周辺の水利系/作図=Blog管理者legend ej

アマルギージョ川の「ローマ・ダム Presa Romana」と「コンスエグラの大洪水」

コンスエグラの旧市街、カルデリコの風車の丘の北端が基点となる「ウルダ通り Calle Urda」を南西方向へ進むと地方道CM4116号と合流する。さらに南西へ1kmほど進んだコンスエグラから約5km付近、CM4116号の直ぐ左側(東側)、道路から見難いが、アマルギージョ川の右岸(東側)から南東方向へ直線的に延びる高さの低い「城壁」のような遺構がある。
標高730m、この辺りでアマルギージョ川は極端に蛇行、護岸工事が施された川幅は7m~8mである。遺構は幅1.3m~1.4m、高さ3m~Max4.8m、長さ約600m、これは1981年にスペインの歴史的建造物に認定されたローマ時代の「貯水ダム」の跡である。
このアマルギージョ川の「ローマ・ダム Presa Romana」は、トレド南方20km付近の長さ480mのアルカンタリーラ・ダム Alcantarilla などを凌ぎ、スペイン国内のローマ時代の残存ダム建造物としては「最大級の長さ」となっている(上地図)。

ローマ時代、紀元1世紀~2世紀、コンスエグラ(ローマ名=コンサブルム Consabrum)の地に進出したローマ人が、この地域の灌漑用水の確保のために、この場所に横長型のローマ・ダムを建造した。
貯水の横圧力でダム提体が崩壊するのを防ぐため、提体の下流側(北側=コンスエグラ側)、提体のほぼ真ん中付近では5m~6m毎に合計15か所の分厚いバッドレス擁壁(長さ1.3m)で補強され、技術的には現代の「扶壁式ダム」に近似する施工である。さらに提体の中央東側に取水施設を設け、内部の幅1m 高さ2.3m 長さ12mの天井アーチ型の「トンネル水路口」から大平原へ供給される水路がつながっていた。
ダムの堤体材料はランダムな割り石を城壁のように丁寧に組み上げ、漏水を防ぐため隙間を石膏で固めた「遮水壁機能」を考慮した頑丈な施工である。

当初、ダム提体は西端からアマルギージョ川を越えてCM4116号寄りの左岸側(西側)へ30m~40mほど延長され、現在の川の流れ付近に「調整水門」が設備されていた。そうして横水圧が最大となる提体の中央付近では、バッドレス擁壁を強固にするため提体を挟むように上流と下流側に高さ1m~2mの土盛りの補強施工が行なわれた。また、現在は痕跡がないが、残っている提体の東端よりさらに約70m先までダム提体が延長されていたことで、完成時のダムは「全長700m」だったとされる。
アマルギージョ川と支流からローマ・ダムへ流れ込んだ水は、大平原に構築した低いダム高さとは言え満水の貯水量が36万㎥(相当=70m立方体)であったとされ、常に満杯の「ため池」を形成、貯水はコンスエグラ(コンサブルム)の乾燥した大地の灌漑に使われた。

しかし、125年前、1891年9月、「過去に経験したことのない200年に一度の豪雨」が、乾燥のラ・マンチャ地方を襲った。ウルダ方面で降った大量の雨、アマルギージョ川の水位はローマ人の「計画高流水量」を遥かに超え、バッドレス補強の割り石と石膏のダム提体は巨大な水力に持ち堪えることができず、現存の提体を除き、「調整水門」とその左岸側(西側)の提体が決壊し破壊された。
怒涛の如く流れ下って来る膨大な量の雨水に加えて、ダムの貯水は「堰を切った」の言葉通り一気に濁流と化し、水位は通常より6mも上がり、5km下流のコンスエグラの街を直撃、結果、死者400名を出す「コンスエグラの大洪水」としてラ・マンチャの歴史に刻む大惨禍を残した。
コンスエグラは300年前、18世紀の初頭にも街が全壊する大洪水を経験していたが、1891年の大洪水では2,000年の歴史の中で丁寧にメンテナンスを行って来たアマルギージョ川の護岸壁を初め、灌漑用水路で潤っていた広大な農耕地も、市街の住宅も橋も、産業施設や家畜など何もかも大洪水で流出してしまった。

ローマ時代の「水道橋」/飲料水用の「導水路」/ローマ時代の「ため池」

歴史的に観た場合、ローマ時代以降、乾燥のラ・マンチャ大平原の全ての町と同じく、農耕地の灌漑と共に飲料水の確保はコンスエグラの繁栄を保証する最大の課題であった。アマルギージョ川のさらに上流のウルダは人口3,200人、ローマ・ダムの遺構からCM4116号で西南西へ6kmの小さな町である。
かつて一帯を治めたローマ人は、ウルダの西方13km、標高850mの丘陵地の「アセダ水源 Aseda」から導水路を設け、地表段差があることから標高810m~標高780m付近まで、現在の幹線道路N401号をまたぐように長さ5kmの石積み低層構造の「アーチ型水道橋」を建造した。
導水路はさらに東方5kmのウルダの街(標高760m)を経由、ローマ・ダム貯水池の南端をかすめて北東へ向かい、標高700mのコンスエグラの街へ枯れることのない清涼な水をもたらした。アセダ水源からコンスエグラまで距離約24km、標高差150m、その間、アーチ型水道橋を除き、導水路は地表を流れる凹型の運河として、その一部は地下浅くに敷設されていたとされる(上地図)。

南フランス・ラングドック・ルシヨン地方に残る有名な世界遺産・「ポン・デュ・ガール橋(長さ275m 高さ48m 下写真)」、あるいはセゴヴィアの「水道橋(長さ728m 高さ29m)」など大規模な建造物とは異なり、ウルダのアーチ型水道橋は、高さは低いが極端に長いローマ人の水道橋であった。
N401号付近に建造された水道橋のアーチ橋脚が、1980年代まで7か所だけ農耕地に残されていたが、現在、全て撤去され水道橋の遺構は存在しない。また長い導水路の運河構造などの痕跡も残されていない。

世界遺産/南フランス・「ポン・デュ・ガール橋」
世界遺産/南フランス・「ポン・デュ・ガール橋」

また、コンスエグラ市街地の東側が基点の地方道TO-3160号を南方へ3km、オリーブと背の低いブドウ畑を走る直線の地方道の西方300mほど、興味を抱く人はほとんど皆無だが、アマルギージョ川のローマ・ダムと同じ時期に造られたとされる「ローマ時代のため池」の痕跡がある。現在はわずかな凹地と湿地草原と化している。

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ラ・マンチャ地方・風車群 地図 La Mancha
ラ・マンチャ地方・風車群/作図=Blog管理者legend ej
ラ・マンチャ風車街道(幹線道路420号)

私は個人の勝手主義で「プエルト・ラピセ~エレンシア~アルカサール・サンファン~カンポ・デ・クリプターナ~モタ・デル・クエルヴォ~ベルモンテ」の風車の丘を結ぶ、ラ・マンチャ平原をほぼ南西~北東へ貫く幹線道路N420号を「ラ・マンチャ風車街道」と呼んでいる(上地図)。
N420号沿線だけで合計34基の風車(小屋)、さらにプエルト・ラピセから並木の旧道(コンスエグラ通り)でほぼ20kmのコンスエグラの12基を合わせると、合計7か所・46基の「風車(小屋)めぐり」が可能となる。あくまでも私の独断ツーリズム・コースだが・・・(下述=ラ・マンチャ地方の風車街道&風車のある町と村)

カンポ・デ・クリプターナの風車の丘 Molinos de Campo de Criptana(ラ・マンチャ風車街道)

位置: コンスエグラの東方43km/アルカサール・サンファンの東方8km

≪ドン・キホーテ物語≫

住民13,000人余りの町カンポ・デ・クリプターナ Campo de Criptana は、コンスエグラの風車の丘から東方へ43kmの距離、スペイン中央平原の典型的な風景の中にある(上述 ラ・マンチャ地方の風車群 地図)。
カンポ・デ・クリプターナの市街の直ぐ北側にある小高い丘に点在する風車群は、現在、稼動していない。かつて中世17世紀の初め頃、流行っていた「騎士道文学」に酔いしれ、自分が伝説的な「騎士」となって、痩せ馬ロシナンテに乗り、従者サンチョ・パンサを引き連れ、ここ中央平原を旅するスペイン下級貴族の物語≪ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ Don Quijote de La Mancha≫は世界に知られた文学作品である。

カンポ・デ・クリプターナ Molinos de Campo de Criptana / Windmills 坎波德克里普塔纳 风车山
カンポ・デ・クリプターナの風車の丘
16世紀のスペイン王フェリペⅡ世が、オランダ型風車にヒントを得て、ラ・マンチャ地方への導入を決めた風車の建造、作家ミゲル・デ・セルバンテスにより書かれた≪ドン・キホーテ物語≫の時代、16世紀~17世紀には、ここカンポ・デ・クリプターナの丘を初め、コンスエグラやアルカサール・サンファン(後述)などラ・マンチャ地方一帯には相当数の風車(小屋)が存在していたはず。
事実、19世紀のカンポ・デ・クリプターナの土地登記書では、それぞれに「名称」が付けられ、所有者が明記された風車(小屋)が34基を数えたとされる。しかし、稼動を停止したことから、1978年、スペインの歴史的な文化遺産に認定され、現在、10基が修復・保存されている。一部の風車は内部を見学できる。

コンスエグラのカルデリコの風車の丘とは異なり、カンポ・デ・クリプターナの風車群は、緩やかな斜面に広がる市街地よりわずかに高い、標高750mレベルの「台地」と呼べるほとんど平坦な場所に建っている。しかも1基は市街地に、2基が市街地と隣接して、残りの7基の風車が平原の東西300mの範囲にランダムに点在している。
風車群が市街地に隣接して建っていることから、心で旅する者の憧憬的な風情からして「若干インパクトが弱いなあ~」と感じる。あくまでも私の個人的な感触だが・・・

カンポ・デ・クリプターナの風車 Campo de Criptana 坎波德克里普塔纳
カンポ・デ・クリプターナの風車
ただし、風車の丘を訪れる時期が真夏であるならば、スペイン中央平原らしい抜けるような紺藍の空、大きく羽根骨を広げる風車(小屋)の真っ白な壁との強いコントラストの素晴らしさを体感することができる。
訪ねたのは眩しい陽光の降り注ぐ真夏7月、ある日の昼下がり、ツーリストのまったく居ないカンポ・デ・クリプターナの風車の丘に、スペインの夏の乾燥した気持ちの良い風が通り過ぎて行く。すべてをラ・マンチャの静寂が支配している。ここでは≪ドン・キホーテ物語≫の時代から時間は停止したままなのか、と思ってしまう。
「ラ・マンチャ風車街道・幹線道路N420号」
下述のアルカサール・サンファンやプエルト・ラピセなどと並び、幹線道路N420号沿いにあるカンポ・デ・クリプターナの風車の丘も、私はあえて「ラ・マンチャ風車街道」と呼んでいる。「風車街道」のN420号はプエルト・ラピセ~カンポ・デ・クリプターナ、さらに北東のモタ・デル・クエルヴォやデルモンテなどの風車の丘を経由して、断崖の街として有名な世界遺産クエンカを結んでいる(上述 地図)。
広大なスペイン中央平原の圧倒される空間を目の前にして、旅の孤独感を覚えつつも吸い込まれそうなカンポ・デ・クリプターナの蒼い空を見上げ、目を閉じ深呼吸をする時、私は日本から遠く離れたスペインの乾いた風車の丘に独り立つ自分と現実の時間を忘れ、しばし浮遊するような心地良い陶酔感を覚えるのであった。
カンポ・デ・クリプターナの空はあくまでも澄明され、かつて訪ねたトルコ西海岸のペルガモン遺跡、紀元2世紀に建てられたトラヤヌス神殿跡(下写真)で眺めたのと同じ、異様に、怖いくらい蒼(あお)過ぎる。
この紺藍色の空がプリント印刷やモニタ画面で再現できないなら、高価なデジカメでの撮影を諦めて、「心のシャッター・ボタン」を押して自身の脳裏にラ・マンチャの空の純粋色を刻み、長く記憶に留めるべきだろう。それが心に刻む遥かなる「時」であり、繧繝彩色な「物語」となるはずだから・・・

トルコ・ペルガモン遺跡・トラヤヌス神殿跡 Pergamon, Turkey 贝加蒙遗址
トルコ西海岸ペルガモン遺跡・トラヤヌスの神殿跡

ちなみに風車の丘の直ぐ西側の中腹には、≪ドン・キホーテ物語≫から名を取ったのか分からないが、「ドン・キホーテ通り Calle de Don Quijote」、丘の南側には「ロシナンテ通り Calle de Rocinante」という、日本人には「親しみ深い」と言える、ちょっと愛嬌を込めた通りもある。ラ・マンチャ地方は何処の町や村でも≪ドン・キホーテ物語≫に染まっている。

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ラ・マンチャ地方の風車のある町と村 La Mancha・「ラ・マンチャ風車街道」
(上述 ラ・マンチャ地方の風車群 地図)

アルカサール・デ・サンファン Alcazar de San Juan/風車の丘(ラ・マンチャ風車街道)
人口31,000人の中都市、アルカサール・デ・サンファンはコンスエグラから東方へ35km、カンポ・デ・クリプターナから西方へ8kmの距離である。アルカサール市街の北西域には帯水層の地盤が広がり、幅1km・長さ5kmの範囲に「国立アルカサール・サンファン湖沼公園」に指定された三か所の広大な湿地帯と湖沼が連なっている。当地は水鳥の生息地を守るUNESCO・ラムサール条約の特別保護区にも指定され、フラミンゴやサギ類などの野鳥観察地として知られている。
市街の中心部から南東3kmの平原、「ラ・マンチャ風車街道」のN420号の南方に見えるサン・アントンの丘に4基の風車(小屋)が建っている(下写真)。レストランやカフェが建ち並ぶアルカサール旧市街のスペイン広場には、馬に乗るドン・キホーテとロバにまたがる従者サンチョ・パンサの二人が並んだ銅像がある。この街も≪ドン・キホーテ物語≫に色付けされている。

ラ・マンチャ大平原と風車の丘 La Mancha
アルカサール・サンファン近郊の風車の丘

モタ・デル・クエルヴォ Mota del Cuervo/風車の丘(ラ・マンチャ風車街道)
カンポ・デ・クリプターナから「ラ・マンチャ風車街道」のN420号で北東へ25km、古い町モタ・デル・クエルヴォ市街の北東側、草原と露岩の丘にはきれいに整備された7基の風車(小屋)が建っている。
風車が芸術的に配置されたコンスエグラの丘より劣るが、もしかしたら、モタ・デル・クエルヴォの丘の雄大さはカンポ・デ・クリプターナの風車の丘より遥かに勝ることから、今後、ツーリストが注目する「風車スポット」になる可能性を秘めている。

ベルモンテ Belmonte/風車の丘(ラ・マンチャ風車街道)
モタ・デル・クエルヴォの街から「ラ・マンチャ風車街道」のN420号をさらに北東へ16km、大要塞 Castillo de Belmonte を構えるベルモンテの街は人口2,000人、標高760mである。市街の北側の丘には屋根(ドーム)が円錐型、円筒型の胴体が白色石膏の表層ではなく、石組みが露出した素朴な形容の3基の風車(小屋)がある。
街からの標高差30mほどの風車の丘からは360度の展望が開け、風車群から1km離れた街の東側のサン・クリストバルの丘に建つ要塞の雄姿が眺められる。標高800mのなだらかな丘の要塞は、15世紀、キリスト教・「サンチァゴ騎士団」の第43代グランドマスターであった侯爵ファン・パチェコ Juan Pacheco が建造した宮殿様式の壮大な建築である

プエルト・ラピセ Puerto Lapice/風車の丘(ラ・マンチャ風車街道)
コンスエグラの市街から南東へ約20kmの距離、「ラ・マンチャ風車街道」のN420号の小さな村プエルト・ラピセの北西の丘にも3基の風車(小屋)が残されている。
コンセエグラより基数は少ないが、標高差100mの丘の風車はかなり遠方からも確認できる。この風車の丘の真西麓、村の中心から北方へ700m、コンスエグラへ通じる並木の旧道(コンスエグラ通り)脇に小さいが頑丈な造りのローマ時代の「石橋」が残されている。
人口1,000人、プエルト・ラピセ村の中心にはいかにもラ・マンチャ的とも言える赤紅色の通廊にも似たロジア様式の建物で囲まれた広場、あるいは1859年創建のネオ・ロマネスク様式の聖母教会堂の隣りには、作家セルバンテスの定宿であったとされる風情を残すレストラン・「宿屋ヴェンタ・デル・キホーテ Venta del Don Quijote」もある。ドン・キホーテが「美しい女性」に会ったと言う、くすんだ朱色の屋根と白壁と青い扉が印象的なレストランの庭先には、長槍で構えるドン・キホーテの銅像が立っている。

エレンシア Herencia /風車の丘(ラ・マンチャ風車街道)
アルカサール・サンファンから「ラ・マンチャ風車街道」のN420号で西南西へ10kmほど、プエルト・ラピセとの丁度中間付近にエレンシアの町が佇んでいる。人口8,500人、市街の東方に低い乾いた丘が南北に1kmの距離で2か所あり、北側の丘に4基、南側の丘に3基の風車(小屋)が建っている。

マドリデホス Madridejos/風車(市街地)
コンスエグラの東方6km、人口10,000人、サフラン栽培で有名な町マドリデホスの北西市街、住宅地の中に地元で「ティオゲネロ Tio Genero 風車」と呼ばれる、16世紀起源の風車(小屋)が1基、修復され博物館として公開されている。また、市街の北方8km付近、高速道路A4号の東側の丘に風力発電用の「現代の風車」が4基稼動している。

ロス・イェベネス Los Yebenes /風車の丘
古都トレドから風車の町コンスエグラへ向かう時、丁度中間付近、幹線道路N401号ではトンネル通過で気付かないが、並行する昔からのローカルバス道路N401a号は、地層と岩盤が露出した山麓をヘアピンカーブで標高930mまで登坂する。
そしてトレド方面のオリーブ畑の大平原より標高差で100mほどせり上がった峠を蛇行しながら南方へ下れば、自慢の地元料理とアーモンドやブルーンなどの果実栽培で知られた人口6,100人の町ロス・イェベネスとなる。この露岩とナラの木などオーク樹と潅木が茂る峠の西側尾根にも、私の記憶が正しければ、2基の風車(小屋)が残されている。

ウルダ Urda/風車の丘
コンスエグラの風車の丘の北端から「ウルダ通り」と地方道CM4116号を南西へ5kmで「ローマ・ダム遺構」となり、さらに西南西へ6km(コンスエグラ~11km)、標高760mのウルダの街となる。ツーリストに知られていないが、市街の南外れの標高805m付近のなだらかな斜面の丘に風車(小屋)が1基建っている。

フエンテ・El・フレスノ Fuente El Fresno/風車の丘
プエルト・ラピセの西方に広がる標高1,000m~1,100m級の山地の南側、コンスエグラの南南西28km、人口3,400人のフェエンテ・El・フレスノはオリーブ栽培で知られている。トレドからの幹線道路N401号が通過する市街の北西側に、標高825mの「ルビオの丘」と呼ばれる美しい円錐形の岩山がある。市街からの標高差150mほどの草原と露岩の頂上に修復された風車(小屋)が1基建っている。
また、市街の東方6kmの山地の中腹(標高810m)には、清楚なロジア様式の中庭を囲んだ聖母マリア礼拝堂があり、地元では知られた観光スポットになっている。

テンブレーケ Tembleque/風車の丘
コンスエグラから北方へ30km、小さな町テンブレーケの東側を走る高速道路A4号の東方380m、低い小さな丘に2基の風車(小屋)が建っている。テンブレーケから南東へ10kmの丘には、風力発電用の「現代の風車」が20基ほど点々と並んでいる。

エル・ロメラル El Romeral/風車の丘
テンブレーケの街から幹線道路CM3000号で東方へ6kmほど、人口670人、標高660m、農業主体のエル・ロメラル村となる。村の直ぐ北側の標高差30mの丘に少し距離を置き4基の風車(小屋)がある。ただし1基は「屋根&羽根なし」の円筒型胴体のみ。

●関連Webサイト: 海外旅行1,200日・世界47か国 旅人legend ej の世界紀行・心に刻む遥かなる「時」
legend ej の世界紀行
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