legend ej の繧繝彩色な「物語」: ミノア王妃の「世界最古のお風呂」と水洗トイレ/クレタ島クノッソス宮殿遺跡

2015年9月3日木曜日

ミノア王妃の「世界最古のお風呂」と水洗トイレ/クレタ島クノッソス宮殿遺跡

エーゲ海クレタ島/栄華を誇ったミノア文明クノッソス宮殿の崩壊

出土した3,000点の「線文字B粘土板(後述関連Webページ)」の解読では、今から3,375年ほど前、紀元前1375年頃、平年どおり冬小麦の収穫が無事に終わり、羊の毛の刈り込み作業を行う「春」の季節、1,000室を数えるクレタ島クノッソスのミノア大宮殿 Minoan Grand Palace of Knossos で火災が発生した。

1900年に始まったイギリスの考古学者サー・アーサー・エヴァンズ Sir Arthur John Evans の発掘ミッションでは、クノッソス宮殿遺跡から人骨が発見されていないことから、大火災は地震など突発的で瞬間的な自然の事象が原因したのではなく、しかも最初の出火は夜間ではなく、数千人規模の宮殿関係者がそれぞれの部署から安全に避難することができた昼間であった、と私には想定できる。
夏の到来を予告するサハラ砂漠からの暖かい「南の風」に煽られ、宮殿直轄の貯蔵庫に保管された大量のオリーブ油に火が回り、火炎は勢いを増し宮殿全体に広がった。伝統的に戦いを好まず、王の住む宮殿でありながら城壁を設けず、優美な「フレスコ画の宮殿」と呼ばれ、平和と栄華を誇ったクノッソスの大宮殿は、30 km先からも見えるほどの真っ赤な叫びの炎を上げたに違いない。

「楽園から地獄」への激変に人々は逃げ惑い、クノッソス宮殿は1週間、あるいは10日間以上も炎上し続け、ここに紀元前3000年頃に起源して1,500年以上も繁栄を続けたエーゲ海ミノア文明は呆気なく終焉を迎える。
ミノア文明の崩壊を招いたクノッソス宮殿の大火災の真因は一体何であったのであろうか?
標高100mの台地に建つ宮殿では津波は想定外、地震など自然災害でないとすれば、それは明らかに人為的、しかも武力を持たない平和主義のミノア王国を襲い一気に攻略できたとなれば、先発のミノア文明の多くを模倣しながらエーゲ海域へ支配権を広げたギリシア本土の好戦的なミケーネ人の侵攻を置いてほかには存在しないだろう。
そうして、今から100年前、サー・アーサー・エヴァンズにより発掘ミッションが開始されるまで、崩壊し息絶えたミノア文明クノッソス宮殿は、約3,300年の間、人々に信じられてきた古代神話と歴史の中で眠り続けるのである・・・

クノッソス宮殿遺跡 Minoan Palace of Knossos
東方の丘陵から眺めるクノッソス宮殿遺跡の全景
右方=北の方角(イラクリオン方面)/1982年 

クノッソス宮殿/「宮殿時代」=旧宮殿時代~新宮殿時代

ヨーロッパ最初の文明」であるミノア文明を象徴するクノッソス宮殿遺跡は、エーゲ海クレタ島の中央北部、島都イラクリオン Iraklion / Heraklion の市街地から南南東へ6kmほどのクノッソス地区 Knossos に残されている。
クノッソス宮殿遺跡の発掘ミッションは、1900年、イギリスの考古学者サー・アーサー・エヴァンズにより開始された。発掘作業の開始から数年のうちに、すでに3,500年以上前に「世界最古のお風呂」と言われる王妃のバスタブ(浴槽)や水洗トイレ、上下水道システムまでも完備され、自然主義の穏やかなモチーフと美しい女性達を描いた色鮮やかなフレスコ画で装飾された、部屋数1,000室を数えるミノア文明の大宮殿遺構の全容が陽の目を見ることとなった。世界の考古学研究者達は、このエヴァンズの快挙を賞賛すると共に、長い間、神話の世界と信じられて来たクノッソス宮殿の実在に驚きの声を上げた。

クノッソス宮殿の歴史は非常に古く、「旧宮殿」と呼ばれた初期宮殿の建物は、考古学的な編年では中期ミノア時代の初期、紀元前1900年頃に造営された。しかし、300年の経過を待たずに旧宮殿は地震火災で焼け落ち、中期ミノア時代の終期にあたる紀元前1625年頃、旧宮殿のあった場所にさらに大規模な「新宮殿」が建造された。そして、その新宮殿も紀元前1375年頃に再び起こった大火災により完全に崩壊してしまう。
現在、クレタ島を訪れるツーリストが見ることのできるクノッソス宮殿遺跡の大部分は、3,400年ほど前の最後の火災で崩壊した新宮殿の基礎部である。そのためツーリストは、コンクリートで復元・複製された区画を除き、大火災により真っ黒焦げに焼けただれた、ちょっと異様な新宮殿の遺構を目にすることになる(右下写真)。

ミノア文明が最も繁栄した時期は文明の中期~最終期、この時代のクノッソスの旧宮殿と新宮殿の存在と統治と文化をして、研究者は「宮殿時代」と呼んでいる。おおよそ500年間続いた宮殿時代こそが、紀元前3000年頃から始まり、現在に至るクレタ島5,000年の歴史の中で最も繁栄して輝いた時代であった。
ミノア文明の「宮殿時代」とは
・旧宮殿時代: 中期ミノア文明Ⅰ期~中期ミノア文明Ⅱ期    紀元前1900年~前1625年頃
・新宮殿時代: 中期ミノア文明Ⅲ期~後期ミノア文明ⅢA1期  紀元前1625年~前1375年頃

繁栄のミノア文明/クノッソスの街・「コノソ ko-no-so」

ある研究者の説によれば、宮殿時代の最盛期、紀元前1500年前後、クノッソス宮殿周辺には街が形成され、最大4万人のミノア人が居住、宮殿勤務の数千人規模の公務スタッフが王の家族を支えていた。当時、人々は活気に満ちたクノッソスの街を「コノソ ko-no-so」と呼び、歴史の中で「コノソス ko-no-sos」、さらに現代の「クノッソス Knossos」へと派生したとされる。
クノッソスの大宮殿を囲んだ「コノソの街」は外国との戦いもなく、宮殿時代に限定しても少なくとも500年以上の間、文明の鞏固不動のセンターとして繁栄を続けていたのである。日本の歴史を見る時、比較的安定して繁栄が長く続いた平安時代でさえも390年間で終わっていることを考えると、戦いと覇権争いで激しく揺れ動く先史の東地中海域にあって、連綿と続いたクレタ島クノッソスの大宮殿と「コノソの街」の戦いのない繁栄は、正に母たるエーゲ海の偶然なる奇跡と言えるかもしれない。
権力を持った王の住む単純な宮殿ではなく、クノッソス宮殿は紀元前1900年頃に始まる旧宮殿の時代から、その後に再建された新宮殿が崩壊するまで約500年以上も続く宮殿時代に、西部の山間部を除きクレタ島のほぼ全域をカバーする行政官制度も含め、現在未解読の「線文字A(後述イラスト絵)」と呼ばれる独自な文字を使った精度の高い官僚機構を確立したミノア文明の政治と行政の中枢、文化の最大発信センターであった。

クレタ島/ミノア宮殿遺跡
クレタ島ミノア文明/クノッソス宮殿・フェストス宮殿・マーリア宮殿・ザクロス宮殿/作図=Blog管理者legend ej
また、クレタ島ミノア文明ではクノッソス宮殿を初め、発掘で確認されているフェストス宮殿・マーリア宮殿・ザクロス宮殿の3か所のミノア宮殿(上作図)でも、ギリシア本土ミケーネ宮殿遺跡・「ライオン門(左下写真)」のように、堅固な構えの城門が存在したことを裏付ける遺構も、分厚い石積み城壁やその基礎石のわずかな痕跡さえも見つかっていない。
戦いが極当たり前の東地中海域にあって、長期の繁栄を享受した王の住む宮殿でありながら、クノッソス宮殿の「城門と城壁のない王宮」という、信じられないこの事実はエーゲ海ミノア文明の最大の不思議さでもあり、海洋民族ミノア人が頑なに継承し続けて来た平和志向と高い精神文化を暗示させる顕著な特徴と言えるだろう。

ミケーネ宮殿遺跡・「ライオン門」
左写真: ギリシア本土・ミケーネ宮殿遺跡・「ライオン門」
右写真: クレタ島・クノッソス宮殿遺跡・貯蔵庫群    

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クノッソス大宮殿の規模/最大5階建て/部屋数1,000室

大規模イベントや集会に使われ、四方を翼部が囲む「50m x 25m」の全面舗装の中央中庭を除き、ミノア文明の特徴ある建物の施工技術や壁面の厚さ、柱の太さなどを基準に想定した場合、クノッソス宮殿の建物全体は少なくとも標準で2階建ての構造であった。さらに王家のプライベート生活区画(下図)を含む東翼部では、露出した岩盤斜面と段差を利用しているので3階~4階、あるいは地下を含めると宮殿の一部区画では最大で5階という、信じられない規模の石積み高層構造であった。
精緻にハード設計された新宮殿の建物は今から3,600年前に建造され、一方、ソフト面では「線文字A(右下イラスト絵・下記関連Webページ)」を使った行政や財務、官僚組織の管理システムを含め、クノッソス宮殿が王国の中央政府として立派に機能していたのは驚きに値するだろう。
しかもクノッソス宮殿全体の部屋数は1,000室、多くの部屋には平和を連想させる美しいフレスコ画が描かれ、聖なる区画にはパワーの象徴とされた雄牛リュトン杯(儀式杯:左下写真)が、広間や長い通廊には宮廷インテリアとして地中海域で最も美しい器形と絵柄の宮殿様式陶器が飾られていた。

クノッソス宮殿遺跡・「王家のプライベート区画」
クノッソス宮殿遺跡・東翼部・「王家のプライベート区画」/作図=Blog管理者legend ej

ミノア王の執務室・「王座の間」&プライベート居室・「両刃斧の間」

クノッソス宮殿の、崇拝された最高権力者であったミノア王の執務室・「王座の間」には、伝説の守り神・「グリフィン」のフレスコ画が描かれ、かつて歴代の王が座った石製の王座が置かれていた(右下写真)。
一方、東翼部に配置された王のプライベートの居室は「両刃斧の間」と呼ばれる床面が石膏石の三部屋続き、「メガロン形式」の独特な構成(左下図・下記関連Webページ)、連鎖渦巻き紋様のフレスコ画で装飾された部屋には、ミノア人が崇拝した神聖な両刃斧(下記関連Webページ)を形容した青銅製の大型装飾物が置かれていた。

クノッソス宮殿遺跡・「王座の間」
左写真: 聖なる雄牛リュトン杯(儀式杯)                       
右写真: クノッソス宮殿遺跡・「王座の間」/石製王座と「グリフィン」のフレスコ画/1982年  
クノッソス宮殿遺跡・「王家の生活区画」
左作図: クノッソス宮殿遺跡・東翼部1階・「王家の生活区画」
右イラスト: ミノア文明・線文字Aが刻まれた粘土板     

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王妃の間/愛らしいフレスコ画の装飾

ツーリストに人気の高い「王妃の間」は、左上図に示すように東翼部1階の「王家の生活区画」、「くの字」の狭い通路と階段部分を挟んで両刃斧の間(王の居室)の南側に連結された配置である。
王妃の間はスペース的には少し狭い感じだが、東側には2本円柱のベランダ形式の部屋があり、さらに外側には採光用の天空に開口した小さな中庭が付属されていることから、部屋の奥までエーゲ海の明るい光が入っていたと想像できる。
王妃の間の壁面と角柱は、ミノア美術の典型である海洋性デザインの愛らしいイルカや魚の群れが泳ぐ様、渦巻きや抽象的な紋様、優雅な「踊るミノア女性」など、純粋顔料を使った美しいフレスコ画で装飾されていた。

フレスコ画「青の宮廷婦人たち」/「イルカのフレスコ画」
左写真: クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画「青の宮廷婦人たち」
右写真: クノッソス宮殿遺跡・王妃の間「イルカのフレスコ画」
なお、残念ながら、王妃の間に描かれたイルカや紋様などの絵柄は本物ではなく、100年前、発掘者エヴァンズによる復元・複製である。実は発掘時に王妃の間周辺で残っていたのは、床面から高さ0.5m~1.5mの支柱下部、石膏石の床面とわずかな壁面だけ、イルカの数や向きや位置、壁面の高さやスペース、天井、小魚の群れなどは、ツーリストへ見せるために、エヴァンズが復元・複製してフレスコ画を描いたものである。
また、イルカのフレスコ画の本物の破断片は、複製のイルカ個体が描き加えられ、クレタ島イラクリオンの考古学博物館で展示公開されている(右上写真)。ただし、博物館のフレスコ画さえも残留断片が非常に少ないことから、ほとんどの部分は「こうであろう復元・複製」である。しかし、わずかに残っていたフレスコ画の断片であろうとも、3,500年以上前の王妃の間の壁面には、間違いなく愛らしいイルカなど、ミノア人が伝統的に愛した海洋性絵柄が描かれていたことは間違いない。

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ミノア王妃の「世界最古のお風呂」/バスルーム&バスタブ/癒されるバスタイム

王妃の間の西側には直結されたバスルーム(浴場)がある。残念ながら、政府当局の特別許可を得た研究者を除き、現在、王妃のバスルームへの一般ツーリストの立入見学は許されていない。
王妃のバスルームはそれほど広くなく、内部には小さな鉢植えの花などを置いたと推測できる高さ1mほどの仕切り壁と円柱1本があることから、バスタブが置かれた実用の「お風呂スペース」は、かつて立ち入りが許された時期に私が簡易計測したデータだが、「南北2.4m 東西2.3m/和風換算=約3畳半」である。
発掘者エヴァンズはバスルーム壁面の高い位置にフレスコ画で直線と渦巻き線紋様を復元・複製している。身近な生活施設のお風呂、大きな話題になっている割には、王妃のバスルームは極端な豪華さなど一切なく、実際にその場に立ってみると、バスタブを使って湯水で「単に身体を洗う」という実用本位であったように思える。

王妃のバスルームの壁や床面は、紀元前1375年頃、クノッソス宮殿が大火災で崩壊した「最後の状態」を今に伝えているが、発掘後の時候劣化と乾燥した外気に触れていることから、かつて1982年に私が写真撮影した時点では、バスタブにクラック割れが確認でき、壁面の石膏石の剥離と劣化もかなり進行していた(下写真)。
多くの人が関心を持っているミノア王妃の「世界最古のお風呂」のバスタブ(浴槽)は、高温度で焼成された「テラコッタ」と呼ばれる素焼き粘土製、頭を置く場が少し縁高のデザインである。バスタブの長さは約155cm、外周側面に円形とツタの葉か、パピルスの花か、あるいは揺らぐアシのような植物の葉を連鎖モチーフにしたクール・デザインの絵柄で装飾されていた。
下写真のように、1982年の時点では、発掘時のままの王妃のバスタブがバスルームの北西隅に置かれていた。王妃のバスタブは東隣の王妃の間の壁面を飾る「こうであろう復元・複製」のイルカのフレスコ画と異なり、ミノア時代の正真正銘の素焼き粘土製のバスタブである。

クノッソス宮殿遺跡・ミノア王妃の「世界最古のお風呂」Minoan Queen's Bath-tub
クノッソス宮殿遺跡・ミノア王妃のバスルーム・「世界最古のお風呂」/1982年
王妃のバスタブは装飾も控えめでシンプルな形容だが、3,500年以上前のミノア時代、誇張ではなく世界最古の「王家の入浴文化」が、この部屋から現実に生まれた意味を考えると非常に立派な施設であった。ミノア時代には、おそらくバスタブはお風呂スペースの真ん中に置かれ、王妃は湯水を満たしたタブで、あるいは女官により次々に運ばれるアンフォラ型容器から湯水を少しずつ身体に掛け流され入浴していた。
幾らかの研究者は、バスタブの周りには王妃の入浴を世話する複数の女官が居て、エーゲ海特産の天然海綿スポンジを使って王妃の脚を洗う役、身体を洗う役、髪を流す役など数人構成でそれぞれ担当が専任されていた、と想像している。
バスタブの底には排水栓がなく、王妃の入浴の後、女官はバスタブの水を容器でかき出して床面に流していたと推測できる。その排水は王家のプライベート生活区画の床下に設けた高度な「排水路システム(左上図 = = = 部分)」を経由して宮殿外部へ流されていた。


風呂好きの日本人なら誰もが、ミノア王妃が入浴したバスタブなので、曲線過多に特徴されるゴテゴテ装飾のヨーロッパ・バロック様式風のさぞかし豪華で大型施設とイメージし勝ちだが、現物は予想外にシンプルで小型である。3,500年以上前、当時の陶器製作の技術とクラック割れの弱点がある素焼き粘土製の材質からしても、これ以上の大型バスタブの製作は困難であったはずである。
バスタブのサイズから判断するなら、ミノア王妃がタブの中で手足と身体を真っすぐ大きく伸ばして「ああ良い湯ですこと・・・」、と入浴するには少々無理があったと推測できる。下描画は私が想像するミノア王妃の「バスタイム」の姿である:

想像1) 狭いバスタブに「直接座る」/半身を湯水につかる
想像2) バスタブの底に置いた「バスチェア(椅子)」を利用する/下半身のみ湯水につかる
想像3) バスタブの上縁に置いた「座り板」を利用する/身体は湯水につからない

クノッソス宮殿・ミノア王妃の「バスタイム」 Bath time of Minoan Queen
想像できるミノア王妃の「バスタイム」/描画=Blog管理者legend ej

そうして予め入浴準備でタブに満たされた湯水、事によると芳香のプルメリア(フランジパニ)を浮かべたフラワーバス仕様、または女官の支えるアンフォラ型容器から少しずつ注がれるハーブ入りの湯水を受け、クレタ島のまどろみの午後、ミノア王妃は目を閉じ至福のバスタイムを満喫していたのであろう。
入浴中のミノア王妃と女官ナディアの会話
1982年の夏、初めてクノッソス宮殿遺跡を訪ねた際、実際に王妃のバスタブに手で触れた経験のある私が、幾分過剰なイメージを描くなら、紀元前1500年頃、美しきミノア王妃に最も信頼されている若い女官ナディアが、入浴の王妃に話しかけるシーンでは;

「王妃様~、マジョラム(シソ葉/血行促進)入りのお湯加減は如何でしょうか?」
「ありがとう、ナディア! 昨日のプルメリアの花の香りと同じように心がとっても癒される気分よ」
「先週のこと、中東シリアから来訪された使節団の若いスタッフのお話では、あちらの王宮ではまだお風呂が流行っていないそうです。なので、王妃様がバスタブ入浴した世界で最初の Bath-Queen となりま~す」
「あら、光栄なお話ですこと。ところで、ナディア、最近、ちまたで話題の線文字Aで刻まれた手のひらサイズのつぶやき粘土板ブログ(上述イラスト絵) を見ると、あちらではアナトリア産の天然厳選椿オイル配合の Tsubaki と呼ばれる、艶髪シャンプーが大流行とかの噂もあるようね、本当かしら?」
「はい、王妃様、このウェストをしぼったような容器が、スマホ注文ではなく、伝書鳩注文でアレキサンドリアの交易商人からお取り寄せした艶髪シャンプー Tsubaki です。とっても売れ筋で在庫不足らしく、クロネコ印ではなく、青ラクダ印の宅配舟の到着まで3か月もかかったのですよ」
「私の自慢の艶々の髪もアナトリアの椿オイルの御かげなのね、どうりで私のロン毛を見たコノソ ko-no-so の街のイケメン達が振り向いていた訳ね」
「はい、王妃様~、さらに口コミ粘土板を見ると、新王朝のエジプトでは、最近、密なキューティクルが得られる珊瑚粉入りリンスとか、まっさら素肌へ変身できる魔法の洗顔石鹸も発明され、オシャレ先取りの若娘達の間で超人気のトイレタリー商品になっているようです、王妃様~」
プルメリア
ミノア王妃も好んだであろう香りの花・プルメリア
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参考情報だが、王妃のバスタブに関しては、ギリシア本土ペロポネソス・メッセニア地方、ミケーネ文明のネストル宮殿遺跡では、王妃の間の隣の部屋で石膏塗り施工、表面にきれいな幾何学紋様の装飾が確認できる粘土製のバスタブ(左下写真)が発見されている。バスタブは重量のある備付タイプ、移動できずに発掘後もそのままの状態を保っているので、首都アテネから現地までの交通アクセスに難があるが、ネストル宮殿遺跡を訪れた際に誰でも見ることができる。
ネストル宮殿の崩壊が今から3,200年前、紀元前12世紀の初め頃と推定されることから、少なくともバスタブは3,250年以上前に設置されていたはずである。そうならば、このバスタブはミノア文明クノッソス宮殿の王妃のバスタブより数世紀ほど「新しい」と言える。ミケーネ文明の宮殿王家の生活を証明する貴重な施設の一つである。

ネストル宮殿遺跡・バスタブ/ティリンス宮殿遺跡・バスルーム
左写真: ミケーネ文明/ネストル宮殿遺跡・王妃のバスタブ
右写真: ティリンス宮殿遺跡・バスルーム/1982年     
さらに、ペロポネソス・アルゴス地方のミケーネ文明の世界遺産の遺構、ティリンス宮殿遺跡では、推定重量20トンとされる石灰岩製、「2,7m x 3m」の大きな一枚岩のバスルーム床面(右上写真)が見つかっている。現代ではとても探すことが難しい大型サイズの平岩を搬入据付していることから、紀元前12世紀以前のミケーネ時代としては、この石製バスルームは現代の私達が想像する以上に豪華な雰囲気が満ちていたであろう。
ただし、ティリンス宮殿では紀元前1200年頃にミケーネ文明の宮殿システムが崩壊した後、数世紀にわたって庶民が宮殿跡に居住を続けたことから、クノッソス宮殿遺跡やネストル宮殿遺跡のように、かつて間違いなく存在したはずの湯水を満たす「王妃のバスタブ」などは発見されていない。

●関連Webページ: ギリシア本土/ミケーネ文明遺跡ページマップ

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ミノア王妃の化粧室

クノッソス宮殿の王妃の間から、バスルームの南脇の通路を西方へ進むと「王妃の化粧室」、または「トイレと石製ベンチの部屋」と呼ばれる正方形の部屋となる。ただし、現在、王妃の間を南側見学コースから覗くことは可能だが、王妃のバスルームや化粧室を含め、東翼部1階内部への一般ツーリストの立ち入りは禁止されている。この部屋はおそらく王妃がメイキャップや衣装の着替え、そしてトイレとして使ったと考えられる。
部屋の南西隅には石膏石のベンチが備えてある。部屋の中のベンチ設備では、私が訪ねたクレタ島に点在するミノア文明の遺跡に限れば、南西部のメッサラ平野のフェストス(ファイストス)宮殿遺跡とその西方4kmのアギア・トリアダ準宮殿遺跡、イラクリオン東方の海岸近くのニロウ・カーニ邸宅遺跡、そして東部のキレイな港街シティアの南方のゾウ邸宅遺跡などにも残されている。

石膏石はクレタ島特産の淡ベージュ色の軟質系石材、色彩も明るくカット加工も容易なことから床面や壁面など、町の庶民の住宅でも多用されていた標準の建築材料だが、石製ベンチの設置に関しては、宮殿や邸宅などに限定される概して上級の建築設備・造作であったと言える。
なお、1980年代~1990年代まで、私はクノッソス宮殿遺跡を累計10回前後訪ねている。その後、宮殿遺構ではツーリストの見学可能な区画がロープ規制で極端に限定されてしまった。現在では絶対に不可能だが、かつて訪れた季節が初夏~秋であったことから、空気は乾燥しているが直射の暑さを避ける意味でも、少々薄暗いこの地下室のような王妃の化粧室に留まり、美しきミノア王妃が座ったであろう石製ベンチで複数回の昼寝をしたことがあった。そのセピア色と化した貴重な経験は、今でも私の「心の宝石箱」の中で密やかに輝いている。

●関連Webページ: エーゲ海クレタ島/ミノア文明遺跡ページマップ

王妃の化粧室/女性達の華やいだ会話は宮廷内の「恋の噂」だったのか?

想像するに、おそらくは化粧室の石製ベンチに座ったミノア王妃の艶髪を梳かす担当の女官達の話題は、宮殿勤務の若いハンサムな男性スタッフの噂話などであったはず。化粧室は始終笑いと華やいだ雰囲気が漂い、男子禁制の女性達だけの「息抜きスペース」であったのであろう。
美しい艶髪の王妃と女官ナディアの会話
何時の世でも女性達は恋愛の話題に事欠かない。例えば、先進国エジプトから青ラクダ印の宅配舟で輸入された、アナトリア産の天然厳選椿オイル配合の艶髪シャンプー Tsubaki と密なキューティクルが得られると好評の珊瑚粉入りリンスで洗髪後、象牙製の櫛を使ってミノア王妃の美しい艶髪を丁寧に整えながら、若い女官ナディアが王妃に話しかけるシーンでは;

「王妃様~、お聞き下さ~い!」
「何かしら、お話になって、ナディア! 今日もお口がアヒル口になっているわよ、お得意の男のお話?」
「昨夜の晩餐会のこと~、赤ワインに酔った若手ナンバーワンの財務秘書官のプロコピオス様が、2階大広間の柱の影で、広報部一番の美人秘書のアナスタシア様と抱き合って愛をささやいていたのを、私、偶然に見てしまったので~す。アナスタシア様は2年前のミスコン・コノソko-no-so大会で断トツ優勝した若くてお美しい女性ですけれど~、昨年、レアンドロス様と出来ちゃった結婚なさった方ですよ、王妃様~!」
「あら、よろしいのではないかしら、自由恋愛は500年も続くミノア王国の伝統よ。エーゲ海より蒼い瞳で恋多き女と言われた私も王様と結婚する前には、50歳の年配のフレスコ画絵師とか、ザクロス宮殿の12歳の王子からも誘惑されたことだってあるのよ。若い人達の自由恋愛は国の平和と繁栄の証だわ、そう思わない、ナディア?」
「はい、王妃様~。でも~、未婚でハンサムなプロコピオス様は私達女官の憧れなので~す、王妃様~。ウゥ~ン、王妃様~」(ナディア=再びアヒル口となる)

古代エーゲ海文明/「自由恋愛」はあったのか?
「自由恋愛は王国の伝統よ」とミノア王妃が強調するように、この時代、エーゲ海域ではクレタ島ミノア王国以外、特にギリシア本土ミケーネ王国ではさらなら自由恋愛がお盛んであったようだ。
例えば、ギリシア西部スパルタでは、長編叙事詩≪イリアス≫によれば、神話の英雄であり伝説のスパルタ王メネラオスの妻に、少女の頃からギリシア中の若者に求婚されたという絶世の美女ヘレン(ヘレネー)が居た。全能の神ゼウスと美しきレダ(レーダー)の娘であるヘレンは、かつて独身時代の「ミスコン・全ギリシア大会」では、右肩並ぶ者は現れず、間違いなく毎年断トツで優勝していたに違いない。
そのヘレンの美貌は歴史を揺るがす国際紛争を巻き起こす。外交使節としてスパルタへやって来た、現在=トルコ西海岸・トロイ遺跡、古名イリオス王国のイケメン王子パリス(子供時代=アレキサンドロス)は、人妻ヘレンと会い一目惚れして「禁断の恋」の扉を開けてしまう。

美人は何時の世でも色々とトラブルを起こす最大の因子である。ヘレンの美貌に魅了されメロメロ状態となった王子パリスは、毎夜、本国で両手に余るほどの若娘達を絶頂させた自慢のフィンガーテクニックを使い、有ろうことか美しき人妻を甘い言葉で誘惑してしまう。そうしてイケメン王子はヘレンと王メネラオスの一人娘ヘルミオーネをスパルタに残し、金銀財宝を積み込んだ舟で美し過ぎる人妻ヘレンを密かに本国イリオスへ連れ去ってしまう。
母アエロペの父クレタ王カトレウスの葬儀でたまたま不在中に起こった「妻を奪われる」という、侮辱的な出来事に夫メネラオス王は激怒。美人妻ヘレンの奪回を大義名分に掲げ、兄であるミケーネ宮殿王アガメムノンを総司令官としたミケーネ・ギリシア連合軍は、有りっ丈の舟を集め10万の軍勢で王国イリオスへ攻撃を仕掛け、10年に及ぶ長い「トロイ戦争」へ突入して行く。時は今から3,200年ほど前、古(いにしえ)の出来事であるが・・・

「トロイ戦争」の英雄と勇者の活躍
イケメン王子パリスの兄はイリオス王国トロイの英雄ヘクトールで、「トロイ戦争」では老齢の父プリアモスに代わり総大将として活躍、対するギリシアの若き武将パトロクロスを討つ。が、盟友パトロクロスを失ったギリシアの勇者アキレスは激怒、その復讐としてヘクトールを殺す。しかし、その後、アキレスはヘクトールの弟パリス王子の放った矢でアキレス腱を射抜かれ命を落とすことになる・・・
一進一退の戦いの後、夜間、ギリシア軍は複数の兵士を忍ばせた巨大な≪トロイの木馬≫をスカイアイ門から搬入させる策略で、繁栄のプリアモス王の都市国家イリオスを陥落させ、長い「トロイ戦争」が終結する。
トルコ・トロイ遺跡 Troy, Turkey
トルコ西海岸・トロイ遺跡・傾斜路ランプ&西門

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8日間\159,000~成田・関西/5☆クラブ/デルフィ遺跡~メテオラ修道院~クレタ島・クノッソス宮殿遺跡~アテネ
9日間\172,000~成田・関西/5☆クラブ/遺跡(ミケーネ~エピダヴロス~オリンピア~デルフィ)~メテオラ修道院~アテネ
10日間\204,000~成田・関西/5☆クラブ/サントリーニ~遺跡(ミケーネ~エピダヴロス~オリンピア~デルフィ)~メテオラ~アテネ

ミノア王妃の「水洗トイレ」

王妃の化粧室の東サイドには、ミノア王妃が使った「水洗トイレ」が付属されていた。現在、王妃の化粧室自体が立入禁止となっていることから、一般のツーリストはこの「古代の水洗トイレ」を見学することは出来ない。
王妃のトイレ区画は横幅約1.1m 奥行き約1.3mの決して広いスペースではない。左下写真のように、左右の石膏石ボードの下部に刻んだ縦溝の凹みがあり、これを利用して奥部のトイレ深溝を覆うように、横幅1.1m 奥行き約55cm 高さ約53cmのベンチ風の「木製座りイス」が固定されていた、と研究者は推測している。
当然、座り部分の横板には施設に相応しい「穴」が加工され、設置のピンポイントは不明だが、間違いなく座りイスから1m付近にそれ程高くない「木製ドアー」も装備され、王妃のプライバシーを確保していたと考えられる。

クノッソス宮殿遺跡・「水洗トイレ」 Minoan Queen’s Flushing Toilet

左写真: クノッソス宮殿遺跡・ミノア王妃の「水洗トイレ」/1982年
右作図: 「水洗トイレ」の構造図/Blog管理者/1982年    
※現在 王妃の化粧室=「立入禁止区域」
東方のマーリア宮殿遺跡の同等の施設からは、石膏石の座りイスが発見されているが、クノッソス宮殿遺跡からは石製の座りイスは見つかっていない。ただ、かつて居眠りも含め王妃の化粧室で長い時間過ごした経験のある私は、過激なイメージかもしれないが、豆や芋類など食物繊維の多い食材がお嫌いで慢性便秘にお悩みのミノア王妃がお座りになった木製イスには、リラックスな気分を誘うために花や小鳥など、さり気ない女性好みの優しい彫刻が施されていた可能性もあった、と確信している。
また、1982年撮影の写真でも判別できるが、トイレ区画の奥正面壁には石膏表装が残っている。このため、王妃の間を飾った泳ぐイルカや宮廷美人などを描いた豪華なフレスコ画装飾こそなかったと思うが、おそらく、この王妃の化粧室内のトイレ区画は、絵柄のない落ち着いたベージュ色などで淡色表装されていたと推測できる。

通常では、トイレが済んだ後、「終わったわ、お水を流して頂ける、ナディア!」、「はい、王妃様!」と、オックスフォード大学に残されている100年前のエヴァンズの発掘レポートを参考に、私がかなりの位置精度で描画した右上イラスト絵にように、ドアーの外で待機する女官ナディアが、アンフォラ型容器から床面隙間へ適量の水を注ぎ込み、汚水は壁面の下を通過して、地中に埋め込まれたトンネル状排水路から宮殿外部へ流された。
この方法では、水を流すのはボタンを押すオートマティックでなく、女官ナディアのマニュアル操作・「手流し方式」だが、処理方法の区分から言えば、列記とした「水洗トイレ Flushing Toilet」であった、と私は確信する。

さらに王妃が去った後、毎回、または翌朝に備えて深夜、女官ナディアは定期的に木製座りイスの「穴」や足元の数cmの隙間から、あるいは事によると腐食に強いオリーブ材やレバノン杉などを使った座り横板だけが簡易的に取り外しができ、掃除用の水を流し込んでいたかもしれない。
3,500年前とは言え、王妃のトイレ区画は感動するほど常に清潔さが保たれていたはずである。外から見られてしまうと心配する全面ガラスの巨大窓、夜景パノラマビューに誰もが声を上げ、全身が映るビッグな姿見鏡で化粧直しがでることから、女性だけでなく多くの男性客も利用する、隠れた都内名所となっている東京駅八重洲口・大丸デパートのトイレと同様に、ミノア王妃の「水洗トレイ」は徹底的に美しいほどに磨き上げられていた。

●関連Webサイト: 海外旅行1,200日・世界47か国 旅人legend ej の世界紀行・心に刻む遥かなる「時」
legend ej の世界紀行
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