legend ej の繧繝彩色な「物語」: 「花の都・フローレンス」で観たボッティチェリ作・フレスコ画≪受胎告知≫

2015年8月12日水曜日

「花の都・フローレンス」で観たボッティチェリ作・フレスコ画≪受胎告知≫

「英語名 Florence=花の都・フローレンス、私が初めてイタリア・トスカーナ地方の中世都市フィレンツェ Firenze を訪ねたのは43年前、1972年の初夏5月中旬であった。
1970年代の初め頃、日本は「東洋の経済三流国」と呼ばれ、家庭では画面の四隅が丸い14インチ型白黒テレビが全盛の時代である。マクドナルド日本1号店が銀座三越の1Fに開店、平均月給¥50,000のサラリーマンや働く女性達が、焼いた円形挽肉を丸いパンに挟んだ「高値の花」の1個¥80の「ハンバーガー」という、過去に見たこともない横文字名称の「手づかみ式ファーストフード」を食したか、あるいは増強された1100~1400ccエンジン搭載の第二世代サニー車やカローラ車を長期ローン(月収x15倍)で購入決断できるか否かが、世間の話題であり、ステータスの時代であった。
この当時、まだ成田空港は開港しておらず、日本の社会には「海外旅行」という単語さえもなく、遠い他所の国へ行くことを高貴な憧れを込めて上品にも「外国旅行」と呼んでいた。日本では伝統的な温泉旅行が主流の時代、税金で「視察旅行」する自治体議員や業務の商社マンなどを除いて、個人費用で「外国旅行」に出る人が非常に少ないため、≪地球の歩き・・・≫などの便利な実用ガイドブックは未だ発刊されていなかった。
今では嘘のように聞こえるかも知れないが、歴史の教科書に出てくる古代ローマ帝国の「首都ローマ」と16世紀末のシェイクスピア作≪ベニスの商人≫のヴェネチアを除き、イタリア・トスカーナの地方都市であった「フィレンツェ」という地名を耳にした日本人は本当に稀な時代であった。
参考データ
厚生労働省統計:  大卒初任給 1970年=¥40,000 1972年=¥53,000
外務省統計:     年間出国者数 1970年=66万人 現在=1,700万
成田空港 開港:    1978年
≪地球の歩き・・・≫: 創刊1979年
¥50,000の月給から貯めた投げ無しの貯金をたたいても資金不足、結果、往復アクセス分は買えず、「ナホトカ航路・シベリア鉄道ルート」、モスクワ経由フィンランド・ヘルシンキまでの片道切符を握り締め、1972年3月、重さ30kgのバックパックを背負った私は、横浜港から出港するロシア船・「バイカル号」のタラップ階段を昇った(ナホトカ航路⇒1992年航路廃止)。
当時の外国への渡航では、例えばヨーロッパ往復航空券は現在の「¥200万」にも値する高額の旅費であり、過剰に言えば「外国旅行=命がけ」に相当していた。出発の日、遠く埼玉の田舎から母親と兄弟、叔母や従妹、神奈川の叔父夫妻や従兄弟、友人など大勢が横浜港・大桟橋へ見送りに来てくれた。
午前11時、明治時代の小説の中のシーンのように出航合図の銅鑼(どら)が鳴り響き、大桟橋と船上を結ぶ大量の五色の紙テープが桜の開花前の早春の風に舞い、制服姿による軽快なバンド演奏の中、私の乗船した「バイカル号」はゆっくりと岸壁を離れ出航した。
家族から少し離れた場所では、互いに好意を寄せ合いながらも私の未知なる渡航が故に「未来への誓い」ができなかった1歳年下の美しい女性(ひと)が、涙を堪え小さく人生の「別れの手」を振っていた。

極東シベリア・ナホトカ港まで2泊3日、52時間である。津軽海峡を通過、船が荒波の冬の日本海へ入った夜、私はエンジン音が響き、寒風で手摺りが凍り、排煙が舞う後部甲板デッキで船酔いを覚ましていたスッピン顔の群馬生まれの女性(ひと)と出会い、モスクワとフィンランドで共に時間を過ごした。現在、オランダから北ドイツの高原の小さな村へ移り、充実した日々を送るこの女性(ひと)が、生涯にわたって関わりを持つ「人生の恋人」となることを、私は「バイカル号」のデッキで鮮明に予見した。

1972年 「ナホトカ航路」 バイカル号乗船券
1972年3月 「ナホトカ航路」乗船券/ロシア極東海運会社・バイカル号(横浜港~ナホトカ港)
この後、1977年の春、翌新年の宮中・歌会始のお題が「母」となったことから、5年前の「人生の旅路」とも言えるこの船出を回想した私は、見送りに来てくれた愛しき母親の姿を描く詠進歌を宮内庁へ送った。短歌には素人であり、当然、歌会始で入選することなど遠過ぎる夢であったが・・・

・1978年(昭和53年)新年 宮中・歌会始・お題・「母」
・詠進歌: 「異国へと旅立つ我に老いた母 気を付けてなと声を震わせ」

普通では不可能な一世一代の「命がけの外国旅行」を象徴するかのように、今では考えられない、外国へ行くのに「帰り切符」を持たない、買う予算もなく手持ち金もわずかという悲惨な船出であった。
呆れて物が言えないほど、あまりに大胆にして無謀極まりない決断に、大正生まれの頑固で厳格な教えを諭す父親から「戻って来ない鉄砲玉」と言われ、援助金もないまま、お先真っ暗な「貧し過ぎる若き旅人」となり、粉雪舞う氷点下のシベリアへ渡った私は、以降、父親が予測したとおり、ヨーロッパで徹底的に打ちのめされる厳しい旅を続けることになる。
唯一、旅へ出発する4日前、早婚の埼玉の我が妹が娘を出産し、保育器の中で「オギャー・オギャー」と泣く小さな生命の「激励の声」だけが、先の見えない貧しい放浪の旅を始めた私の心理面への明るい支えであった。

極寒の北欧スカンジナビア~ドイツ~スイス・アルプスを南下、出国から2か月後、夏が始まりオリーブの緑銀色の葉が地中海の眩しい陽光に輝く1972年5月、イタリアへ入国した私は、印象的な朱色の屋根の美しい街並み、美術と歴史と文化を凝縮したルネッサンス芸術の発祥の地、「花の都・フローレンス」に1週間滞在した。
ガイドブックもなく、手持ちの現地情報など何一つないまま、私はフィレンツェ旧市街の中心に建つ全長153m、最大幅90m、高さ107m、晩期ゴシック~ルネッサンス様式、白大理石を基調に淡いピンクやグリーンの色大理石で仕上げられた壮麗な「花の聖母マリア」の大聖堂ドォーモを訪れた。
そうして、大聖堂の内径43mの八角形クーポラ(ドーム)天蓋を飾るジョルジョ・ヴァザーリ作・フレスコ画≪最後の審判≫を初め、見たこともない規模のステンドグラスなど数限りない装飾品に息を呑む。
フィレンツェの街を二分する黄緑色のアルノ川の南岸、ピッティ宮殿やミケランジェロ広場の小高い丘に立ち、目の前に展開する朱色一色に染まった旧市街の、中世以降、歴史の中で多くの人が憧れたそのあまりに美しい旅情的な景観に、経験の浅い若かった私は感極まり、(誰にも話していないが) 独り涙を流しながら眺望していたのであった(下写真)。

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フィレンツェ大聖堂ドォーモ Firenze
朱色に染まるフィレンツェ旧市街&「花の聖母マリア」の大聖堂ドォーモ/1972年
旧市街を放浪する私は、記憶だけを頼りに学校の教科書に載っていた「有名なイタリア絵画」を見ようと、メディチ家傍系の初代トスカーナ大公コモジⅠ世と同じく、居住のピッティ宮殿から約1km、「ジョルジョ・ヴァザーリの秘密の回廊」に沿って、緩やかな流れのアルノ川に架かる多層構造のヴェッキオ橋(下写真)を渡り、メディチ家歴代のルネッサンス美術コレクションを収蔵するウフィツィ美術館 Galleria degli Uffizi へ向かった。
今日のウフィツィ美術館、16世紀のトスカーナ大公が日中政務したウフィツィ Uffizei は「イタリア語=庁舎 Ufficio」、「英語=Office」を意味する巨大な建物、世界最古の美術館でありイタリア最大のルネッサンス美術の宝庫でもある。

そうして、未知との遭遇の館内へ入り、名画≪受胎告知≫のレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロと並び、「ルネッサンス三大巨匠」のラファエロ・サンティの調和の取れた穏やかな宗教画、さらにサンドロ・ボッティチェリの描いた絵画など約2,500点の展示作品群、次々に現れる本物のルネッサンス美術の至宝の素晴らしさに圧倒されるのであった。
その時受けた衝撃でアドレナリンがドクドクと身体中に流れ出た強烈な印象と興奮は、時間経過の中ですでに多くの経験シーンが、ブログ・タイトルのように、セピア色の「過ぎ去りし時 繧繝彩色な物語」となった今でも、私の脳裏と生涯消えることのない iPS細胞に鮮明なDNA刻印として残されている。
その過熱沸騰の興奮状態とルネッサンス美術へのさらなる貪欲な鑑賞意欲は、初めて本物を知ってしまった初心(うぶ)な若者が、1972年の初夏5月、フィレンツェに滞在した1週間の間、ずーと止むことはなかった。

フィレンツェ・アルノ川&ヴェッキオ橋
フィレンツェ・ウフィツィ美術館から眺めるアルノ川&ヴェッキオ橋/1972年
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サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli フレスコ画≪受胎告知≫

中世14世紀の初め、1316年、イタリアの建築家シオーネ・デ・ラポ・ポリーニが、今日のフィレンツェ中央駅(正面)の西方250m、スカラ通り Via della Scala に面して、巡礼者や貧しい人々を収容、病人の手当てなどを行った聖マリア・デッラ・スカラ救済院(病院)を建造する。
このフィレンツェの救済院の運営は、南方55km、シエナの大聖堂前に建つ同名の聖マリア・デッラ・スカラ救済院(病院)に関連したとされ、二つの救済院は共に当時北イタリア・ベローナを統治した名門スカラ家が建てた庶民救済用の施設であった。その後、フィレンツェの救済院は付属聖堂やロッジア(開廊・回廊)、食堂や宿舎などが追加建造され、孤児院も併設された。

そうして、ルネッサンスの最盛期、15世紀の後半、有力者、私にはスカラ家と推測できるが、資産家から「蔓延したペスト病の収束を神に感謝する」ための奉納壁画を依頼された、36歳のフィレンツェの画家サンドロ・ボッティチェリが、1481年、救済院の付属聖堂の壁面にフレスコ画技法で≪受胎告知≫を描いた(下写真)。
17世紀になると、救済院はアルノ川の支流ムニョーネ河畔にあった聖マルティーノ修道院の修道女に供与され、修道院施設として改造が行われた。しかし、1886年には聖マルティーノ修道院の宗教活動に終止符が打たれたことから、建物は国有財産となり、その後は少年裁判所と刑務所、更生センターが今日まで占有している。

乳化・固着剤として鶏卵や蜜蝋を使うテンペラ画とは異なり、元々壁面に塗った漆喰が生乾きの間に石灰水と顔料で描く高度な技法で仕上げられたフレスコ画であっても、時候劣化で剥がれや損傷が目立って来る。
20世紀初め、1920年、旧救済院の聖堂の壁面を飾っていたボッティチェリのフレスコ画≪受胎告知≫は、左の大天使側と右のマリア側、左右に二分割するため絵のほぼ中間付近、ロッジア(開廊・回廊)の中央柱の左脇に縦線が引かれ、慎重に壁面から剥がされ、フィレンツェ・ウフィツィ美術館へ移管された後、修復が行われた。
今日、極めて精巧に接合され、あたかも「一枚絵」のように見えるが、接近して観察すると、かつてこの≪受胎告知≫が二分割されたことが分かる。

ボッティチェリ作・フレスコ画≪受胎告知≫
ウフィツィ美術館所蔵・ボッティチェリ作・フレスコ画≪受胎告知≫
合わせた絵の大きさは縦243cm 横555cm、非常に大型である。ボッティチェリと同じ時代、ほぼ10年前にまだ20代の若きレオナルド・ダ・ヴィンチが、修行中の1471年~1472年に描いた名画≪受胎告知(後述写真)≫に比べると、木板絵画やテンペラ画とは異なり、劣化したフレスコ画の特徴なのか、ボッティチェリのフレスコ画≪受胎告知(上写真)≫は全体が幾分淡い階調に見える。
しかし、間近に立つ誰もが驚くのは、特に花をはめ込んだ連鎖装飾の柱や壁面、あるいは木材の道管・筋目の引掻き痕などが表現された柱礎部の信じられない超微細な加工技術、そして、本来なら「主役」であるはずの静かな表情のマリアより、「神」からの意志を伝える重要な役目、「聖告」の天使ガブリエルの神妙にして誠実過ぎる表情と動的な姿が強調された描写力である。

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上写真で誰もが即座に判断できるが、ボッティチェリのフレスコ画≪受胎告知≫では、絵の舞台は北ユダヤ・ガリラヤ湖の西方ナザレの町の邸宅の内部、視線を斜め下へ向けた青年天使ガブリエルが、今正にロッジアの床面へ降臨しようとしている瞬間を捉えている。
約束事のマリアの純潔・貞操を表すアトリビュート(持ち物)の白百合の花を携える、ガブリエルの白と朱色の柔らかそうな衣装が風圧で後方へなびき、あまりにも動的と言えるふくよかなドレープをつくっている。また、現物のフレスコ画に近づかないと気付かないが、「神」の導きか、ガブリエルの背後からマリアの居る部屋へ届くほどの金色の細線光が射している。

ボッティチェリ作・フレスコ画≪受胎告知≫部分(マリア)
ウフィツィ美術館所蔵・ボッティチェリ作・フレスコ画≪受胎告知≫部分(マリア)
右側の、襟元に淡いモーブ色のスカーフ、シルクかビロードのような約束事の「天」を意味する青い衣装、頭に透明な白いベールのやや細身のマリアは、写真などでこのフレスコ画を見た人の多くが勘違いするように、遠目には「うたた寝をしている姿」にも見える。
しかし、伏し目ながらも瞳を開き、足元の幾何学紋様の特徴的な床面へ落とすその透き通った視線は、読みかけの≪預言書=イザヤ書≫のとおり、この後に起こる極めて重大な「聖告」を悟り、それを受け入れるマリアの従順さを表現している、と私には思える(上写真・マリア表情)。
このマリアの眼差しの精緻極まる細部の写実描写は、真をもって美しく、現地フィレンツェを訪ね、ウフィツィ美術館の特別展でのみ限定公開される機会に、現物のフレスコ画を丁寧に鑑賞した人だけが確認できる≪受胎告知≫の最重要素の一つと言えるだろう。
胸から下の衣装にドレープをつくる「聖告」の天使ガブリエルの動的な姿、対して読んでいた「預言書」から自らの運命を超感覚的に予見する「聖なる人マリア」の静穏さこそが、フレスコ画≪受胎告知≫に残された≪ボッティチェリ・コード(暗号)≫ではないか?と、ふと私は過剰な想定をしてしまう。
「受胎告知」と「無原罪の聖なる人マリア」
マリアは自身が母アンナの体内に宿された胎児の時、すでに「禁断の果実」を食べ、罪を犯し「エデンの園」から追放されたアダムとイヴ以来の人間の中で、唯一「神」から認められ罪から免れる特別な存在の聖なる女性、「無原罪の人」と決められていた。
そして生まれ、15歳か16歳前後に成人したマリアは、遠くダビデ王家の血筋を引くヨセフの婚約者となったが、「神」が選び認めた特別な女性であるが故に、大天使ガブリエルの「聖告」に従い、性的営みを介せずに神の恩恵と保護の下で精霊の働きにより「処女受胎」することを受け入れる。
そうして、「無原罪の人」のマリアの体内に宿り(=無原罪の御宿り)、≪ルカの福音書≫によれば、「生まれる者は聖なる者、神の子と呼ばれるであろう」と≪預言書=イザヤ書≫に記述されているとおり、「神の子イエス」が誕生する。
キリスト教の教義で最も重要なことは、イエスの誕生より以前、元々マリア自身が胎児の時に「神」により選ばれた「無原罪の聖なる人」であったことである。その後にイエスの母となることで特別な「聖なる人」から「聖なる母=聖母」となる。言い換えるなら、イエスの誕生よりマリアの存在こそが、キリスト教の「根源」であると言っても良い。
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フィレンツェ・ウフィツィ美術館/ダ・ヴィンチとボッティチェリの作品

フィレンツェ・ウフィツィ美術館では、木板に油彩とテンペラで計算尽くして描いたと思える、ダ・ヴィンチ作≪受胎告知≫が鑑賞できる(左下写真)。縦98cm 横217cm、このダ・ヴィンチの名作絵画≪受胎告知≫では、若い天使ガブリエルはすでに降臨を終えている。
約束事のマリアの純潔・貞操を意味するアトリビュート(持ち物)の白百合の花を携える左側の天使ガブリエルが、マリアの眼をジッーと見つめる凛々しい、と言うより強く説得を試みるかのような場面である。右側にはその澄んだ厳しい眼差しの天使ガブリエルから「聖告」を受け、15歳か16歳前後の驚きと戸惑いを隠せない若いマリアの表情が描かれている。

ダ・ヴィンチ作・「受胎告知」とボッティチェリ作「カステッロの受胎告知」
左写真: ウフィッツィ美術館所蔵・ダヴィンチ作≪受胎告知≫
右写真: ボッティチェリ作≪カステッロの受胎告知≫    
さらに、フレスコ画ではなく、1489年~1490年、床面に跪く若き天使ガブリエルとマリアを描いたボッティチェリ作の木板・テンペラ画≪カステッロの受胎告知≫も鑑賞できる(右上写真)。
このボッティチェリ作≪カステッロの受胎告知≫は、アルノ川南岸のカステッロ広場に1450年頃に創設されたカルメラ会系譜の修道院、または大聖堂ドォーモの東方700m、ピンティ通り58番地の同会系譜の聖マリア・マッダレーナ修道院から依頼を受けたボッティチェリが制作したとされ、縦150cm 横156cm、ほぼ正方形である。
ダ・ヴィンチのそれと同様にボッティチェリ作≪カステッロの受胎告知≫も、中世ヨーロッパ美術に素人の私の遠い記憶と印象では、ルネッサンス絵画の特徴であるやや重みのある鮮やかな色調であった。

個人的な恥ずかしい話だが、私は古(いにしえ)の奈良・天平時代に宮廷へ亜麻を献上した言い伝えと国分寺の瓦を焼いた古文書記述を根拠として、1,300年前からの長い歴史だけが自慢の輝きを放す難読地名・「男衾(おぶすま)」と呼ばれた埼玉県北西部の片田舎で育った。
美術より地元の荒川で手掴み捕りする可笑しな顔付きの「カジカ」やホタルを追い、太古の昔のシダや巻貝の化石と縄文式土器の欠片探しに夢中になっていた子供の頃の私は、絵とは「さくらクレパス・マット水彩」の錫張り鉛チューブ入り絵の具を使って、画用紙に描くものと信じ込んでいた。
恥ずかしながら育ったローカルな場所が純粋に反映され、男衾村立(現 寄居町立)男衾小学1年生へ入学した直後に訪れた長瀞の「秩父自然科学博物館(現 県立自然の博物館)」以外に、私は大人になり、「花の都・フローレンス」を初めて訪ねた1972年当時でも、博物館や美術館を訪ねる機会などまったくなかった。

何とも芸術や音楽などアートな世界から縁遠く育ったが故に、世間知らずで何も知らなかった若い初心(うぶ)な私は、にも拘らず1週間滞在したイタリア・トスカーナの朱色の屋根が連なる中世都市フィレンツェで、教科書の写真ではなく、予告なく突然の如く遭遇した500年前の本物のルネッサンス絵画が放す圧倒的な迫力感に魅了されてしまった。
その場から移動できないほどの衝撃波とも言える絵の放す強いパワーを浴びた私の内部は、「美しいもの」を鑑賞できる喜びと感動で渦巻いた。そうして私は「花の都・フローレンス」で声も出せずにただ天空の「美のブラックホール」へ誘導されて行くのであった。

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ボッティチェリ絵画のモデルであった美しい女性/シモネッタ・カッターネオ・ヴェスプッチ

フレスコ画≪受胎告知≫以外に、1972年、ウフィツィ美術館で私が感動の衝撃を受けたボッティチェリの作品、大型テンペラ画≪ヴィーナスの誕生≫や≪プリマヴェーラ(春)≫など、そのほとんどが「絶世の美女」と言われたシモネッタ・カッターネオ・ヴェスプッチがモデルと言われている。
中でもイタリア旅行のトレードマークにも使われる、縦172cm 横278cm、圧倒的に美しいテンペラ画≪ヴィーナスの誕生≫は、23歳の若さでシモネッタが逝った7年後の1483年に完成したとされる(下写真)。
画家とモデル、互いに知り合ってわずか1年余りの中で感じ取った神秘的な美しさを漂わせた女性のすべて、海に浮かぶ巨大な貝殻の中に立ち、遠くを見つめ幾分憂いを漂わせた表情、白く透き通るような女神ヴィーナス、一糸まとわぬシモネッタの姿、ボッティチェリの正確な記憶と天才的な描写力をもって表現されている。

ウフィツィ美術館所蔵・ボッティチェリ作・≪ヴィーナスの誕生≫
ウフィツィ美術館所蔵・ボッティチェリ作・≪ヴィーナスの誕生≫
この美しい絵画では、ヴィーナスの右方からは西風を運ぶ神ゼピュロスとその妻フローラが、地中海の春~初夏に豊穣を約束するアネモイ(風)を吹いている。一方、ブロンドの長い髪をなびかせたヴィーナスの左方には地上を意味する森林が広がり、花柄紋様の衣装の乙女、三姉妹とされる季節の女神の一人、優美なホーラがヴィーナスを待ち受け、花や樹木の成長と社会の秩序と平和を暗示する、やはり春の小花をあしらったシルクの赤いローブを差し出している。例えようもなく明るく輝くギリシア神話≪ヴィーナスの誕生≫の情景である。
シモネッタ・カッターネオ・ヴェスプッチ Simonetta Cattaneo Vespucci
メディチ家から擁護されていたボッティチェリの絵画に数多く登場する美しい女性、シモネッタは、1453年、ジェノヴァの南東85km、地中海に突き出た小半島にカラフルな家並みを残す風光明媚な景勝地、現在人口4,000人、世界遺産の街ポルトヴェーネレの裕福な商人の家庭で生まれたとされる。
シモネッタは15歳にしてフィレンツェの有力家系マルコ・ヴェスプッチと結婚、その後、ボッティチェリの擁護者メディチ家系のジュリアーノ・デ・メディチの愛人となった。その端正にして華麗なシモネッタは、当時、「フィレンツェ最高の美女」と言われ、ボッティチェリ以外にもイタリアの多くの画家達のモデルとなったが、肺結核を患い、1476年、わずか23歳の若さでこの世を去って行く数奇な運命の女性であった。シモネッタには子供はなく、その葬儀の日、フィレンツェのすべての教会の鐘が鳴り響き、市民は美しい女性シモネッタの死を惜しんだと言う。
なお、偶然なことか、シモネッタの生まれ故郷、ポルトヴェーネレは「ヴィーナスの港」の意味があると言う。また、夫の親族でシモネッタとほぼ同年代の冒険家・公証人アメリゴ・ヴェスプッチは、1499年~1502年、スペイン国王企画の南米大陸調査航海に2回(~1505年の4回説あり)参加して、カリブ海~ブラジル沿岸まで到達している。この快挙をもって、アメリゴのラテン名称「アメリクス」から派生した「アメリカ」という名称が生まれたとされる。なお史実では、1492年、虐殺と強奪で有名なコロンブスは長い航海の後に西インド諸島へ到達しているが、「アメリカ新大陸」の発見者ではない。

一方、シモネッタと同じ1453年生まれの美男子ジュリアーノ・デ・メディチは、フィレンツェ最盛期の家系当主であった兄ロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニーフィコ)と共に、繁栄のフィレンツェの金融と政治をコントロールしていた。しかし、1478年4月下旬、兄弟が「花の聖母マリア」の大聖堂ドォーモの復活祭のミサに参列した際、同じくフィレンツェに本拠を置く対立していた金融業パッツィ家からピサ大司教となった、フランチェスコ・サルヴィアーティなどに襲撃される(パッツィ家の陰謀)。負傷したものの兄ロレンツォは辛うじて難を逃れたが、25歳の弟ジュリアーノはその場で暗殺されてしまう。
事件当事者のピサ大司教やパッツィ銀行ローマ支店長フランチェスコ・デ・パッツィを初め、パッツィ家当主など100人はメディチ家により処刑された。以降、なおも怒り心頭のメディチ家は、パッツィ家と手を組みメディチ家に対して策謀した教皇シクストゥスⅣ世との「パッツィ戦争」を繰り広げる。しかし、その後間もなくして教皇が死去となり、混乱は収束され、メディチ家によるフィレンツェ支配体制はさらに確固たるものとなる。
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また、ウフィツィ美術館所蔵の、ボッティチェリがシモネッタを描いた別の作品では、鮮やかな赤と黒のドレス、想像力を掻き立てる豊かな胸、意志の強さを表す口元、情熱的とも言える瞳で凛として前方を見つめるシモネッタの≪肖像画≫も圧倒的に美しい(右下写真)。
さらに清楚にして美しいシモネッタを描いた作品では、銀行家ヨハン・フリードリヒ・シュテーデルから名を由来する、ドイツ・フランクフルトのシュテーデル美術館 Das Städel 所蔵の≪女性理想像・シモネッタの肖像画≫がある(左下写真)。

シュテーデル博物館&ウフィツィ美術館所蔵・シモネッタの≪肖像画≫
左写真: シュテーデル美術館所蔵・≪女性理想像≫ 
右写真: ウフィツィ美術館所蔵・シモネッタの≪肖像画≫
縦82cm 横54cm、シモネッタが亡くなる直前、1475年頃に完成したとされるフランクフルトの肖像画は、コットンであろうか淡い鈍色(にびいろ)の3本ストライプでアクセントされた柔らかそうな衣装、ボリューム豊かな栗色の髪に高貴な額の女性を際立たせるリボンやビーズ、さらに複雑に絡むヘアピースと羽飾りを付けた「理想の女性」、美しいシモネッタをポプラ板に描いたものである。
これは私が長く滞在したギリシアから旧ユーゴスラヴィアのアドリア海沿岸2,000kmを北上した後、ブナやナラなど広葉樹の鮮やかな紅葉に彩られた(西)ドイツへ移った1972年の秋、ゆったりと流れるフランクフルト・マイン河畔のシュテーデル美術館を訪ね、見事な空間構成と写実描写と点綴技法のネーデルランドの画家ヨハネス・フェルメール作・油彩画≪地理学者(1669年)≫と共に、予想もしていない偶然で出会えた絵画である。
すでにその半年前、「花の都・フローレンス」のウフィツィ美術館で観たボッティチェリ作・テンペラ画≪ヴィーナスの誕生≫、赤と黒の衣装のシモネッタの≪肖像画≫の鮮明な残照の記憶があったことから、直ぐ様にこのフランクフルトの美し過ぎる女性が「シモネッタ」であることに気付くまで、私には1/100秒の時間さえも必要としなかった。

何故にボッティチェリはこのような美しい女性特有の繊細さと優雅さを、細部に至るまで精緻に表現することが出来たのであろうか? ウフィツィ美術館でも、シュテーデル美術館でも、画家の卓越した才能は無論のこと、時代背景となっていたキリスト教への深い信仰心、あるいは洗練された精神なのかと、美術や古典音楽に疎かった当時の若い私でさえ、感動・感激の大渦に巻き込まれながらも、少しだけメンタル的な推量をしたのであった。

それから長き時が経過した2015年、東京・渋谷のザ・ミュージアムで≪ボッティチェリとルネッサンス(フィレンツェの富と美)展≫が開催された。あまりの偶然、あるいは待っていながらの稀な幸運と言おうか、43年ぶりにボッティチェリのフレスコ画≪受胎告知(上述写真)≫に再会する機会を得たのである。鑑賞1時間ほど、照明を落とした展示室に佇む私の心は、言葉で表現することが出来ないほど、感涙寸前の幸福感に満たされていた。
流行の話題に流され来日した名画を自慢話のファッションとして単純に鑑賞したのとはまったく異なる深い心象の範疇、43年前の貧しくも前へ前へと突っ走っていた自身の青春の日々、朱色の屋根が連なる美しいルネッサンスの街、ボッティチェリ作・フレスコ画≪受胎告知≫を観た「花の都・フローレンス」、「心に刻む遥かなる時」が静かに追懐されて来た・・・

●関連Webサイト: 海外旅行1,200日・世界47か国 旅人legend ej の世界紀行・心に刻む遥かなる「時」
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